下請けから元請けに業態を変え、さらに自前の木材生産にも乗り出した東京チェンソーズ。収益を出すために同社がとった戦略は、従来の木材流通のあり方を覆すものだ。さらに青木氏は、30年先の東京の森づくりを見据え、販路開拓にもつながるユニークなプロジェクト「東京美林倶楽部」を始動した。斜陽産業と言われた林業の世界に入って15年。檜原村という東京の奥座敷から、青木氏はどんな未来を描いていくのか。

「第1回:若者だけの林業会社が、東京に生まれた理由」はこちら >
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取引価格は十数倍

木の旬を逃さずに丸太を伐採し、天然乾燥という手法によって、色つやに優れ香り豊かな建材製品へと仕上げていく。それが、東京チェンソーズ流の木材生産だ。しかし、肝心の買い手は見付かるのだろうか。そして、いくらで売れるのだろうか。

「地元の建具屋さんの組合と工務店さんに、直接お買い上げいただいています。そうすると、市場に出しても1本1万円程度でしか売れないスギの丸太が、手間をかけて柱や板の状態まで仕上げたことによって十数倍で売れます。そのうち4~5割が弊社の利益になります」

画像: 取引価格は十数倍

木の幹は、伐り出す部位によって名称が異なる。根元に近く1番太い部分を元玉(もとだま)、その上の部分を二番玉、さらに上に行くにしたがって細くなっていく部分を三番玉、四番玉と言い、それぞれ3mや4mずつの長さで伐り出して製材する。東京チェンソーズでは、建具屋の組合には元玉と二番玉から取った木材を、そして工務店には三番玉と四番玉を丸太の状態で出荷。さらにその工務店とは、互いにWin-Winの関係も築いている。

「弊社は一般の方に木の良さを伝え、森林を身近に感じていただくために、丸太切りや薪割り、木工などを体験できるイベントを開催していて、年間を通じて延べ1,500~1,800人の方が訪れます。これを営業ツールとしても活用しています。

イベントに訪れた家族連れの皆さんの中には、“東京チェンソーズが育てた木で家を建てたい”という方もいらっしゃいます。そういった方に弊社のお得意先の工務店さんを紹介し、めでたく成約した場合には、工務店さんとしては広告宣伝費が浮くわけですから、その分を弊社にバックしていただいています」

画像: 現場仕事は朝7時半スタート。日中しか作業ができないため、季節や天候によって始業時刻が変わることもある。また、土日は基本的に休みだが、雨天が続いた場合には出勤することもある。

現場仕事は朝7時半スタート。日中しか作業ができないため、季節や天候によって始業時刻が変わることもある。また、土日は基本的に休みだが、雨天が続いた場合には出勤することもある。

山を仕事場としてきた東京チェンソーズがイベント開催にも力を入れるようになった背景には、1つのデータがあった。

「2012年に行われた都政モニターアンケートの中で『東京の森林にどのような機能や役割を期待しますか』という質問がありました。その回答結果で特に多かったのが『水質浄化』や『二酸化炭素吸収』といった環境への貢献で、全体の50%以上。次に多かったのが『ハイキング』や『自然体験の場』で30%くらい。ところが、『木材生産の場』としての期待はたったの3%しかなかったんです。

ということは、世間に対していきなり“東京の木を使ってください”というアプローチをしてもミスマッチなんだと気が付きました。まずは、木に興味を持っていただくことを入り口にしないといけない。そのためのイベントを開いて、そこで関心を持ってくださった方に東京の木を使っていただけたらと考え、PRに取り組んでいます」

中でも青木氏が力を入れているのが、会員制の森林体験プログラム「東京美林倶楽部(びりんくらぶ)」。文字どおり「東京に美しい林をつくる」がコンセプトだ。

30年かけて、お客さまと一緒にスギを育てる

「古くから林業地として知られる奈良県の吉野には、樹齢100年のスギの人工林があります。間伐が繰り返されて適切に管理されてきたことで、スギの周りには広葉樹もあって、小川が流れていて、動物も棲めて、なおかつ人が利用できる素晴らしい森ができている。これを東京にも作りたいんです。それも、山の奥ではなく、人の目につく場所に。しかも自分たちだけの手でそれをやるのではなく、“環境のために何かしたい”“自然に触れる体験”をしたいという都民のニーズの受け皿となるようなしくみにしようと考えました」

東京美林倶楽部の入会資格は「美しい木や森林に想いを馳せ、30年という時間を楽しめる方」。会員は、檜原村にある東京チェンソーズの社有林で3本のスギの苗木を30年かけて育てていく。入会金は1口5万円、年会費は1,000円。年数回のイベントが毎年行われ、1年目は春に苗木の植え付け、夏には下草刈り、そして8年目からは枝打ち、25年目と30年目には間伐といった作業を体験できる。その都度の参加費は不要、しかも手ぶらでOK。作業は東京チェンソーズの社員が手伝ってくれる。また、タイミングが悪く参加できない場合には、社員が代わりに手入れを行う。会員としては、林業の体験ができる上に、手入れの行き届いた美しい林を残すことで環境の保全にも貢献できる。

「30年後、3本の苗木のうち2本は間伐して会員の方にお譲りし、残りの1本はそのまま山に残させていただきます。小さいお子さんをお持ちのご家族が多いですね。お子さんが大きくなった時に、ここで育てたスギで何か作って結婚式の引き出物にしたいですとか、将来家を建てる時に使いたいですとか、いろいろな動機で入会なさっています。

最初に行う植え付けのイベントでは、1本1本の苗木に目印の木札を付けてもらっています。お子さんが自分の名前やメッセージを木札に書き込んでいるのを見ている時間が、すごく楽しいんですよ」

画像: 東京美林倶楽部の植え付けイベントの様子

東京美林倶楽部の植え付けイベントの様子

このプロジェクトには、これまで東京チェンソーズが檜原村を中心にイベントを主催してきた中での反省点が活かされている。

「これまでいろいろなイベントを開催してきた中で3つ困ったことがありました。まず1つめが、山の中ですとトイレが無いこと。せっかく自然と触れ合える場所に来ても、それでは不安じゃないですか。この社有林なら、観光客用の駐車場と公衆トイレが間近にあるので安心してイベントを楽しめる。

2つめはアクセス。どんなに楽しそうなイベントでも、“山の中を歩いて3時間”なんて言われると、気持ちが一気に萎えてしまうんですよね。でもここならバス停から徒歩5分、そして駐車場からも近い。

3つめが食事です。各自持参にしてしまうと、やはりコンビニ弁当を持って来られる方が多くなります。山の上で昼食を取ろうとなった時に、それではせっかくのロケーションがもったいないですよね。でもここなら煮炊きができる設備が近くにあるので、郷土料理や檜原村の食材を使った料理を参加者の方にふるまうことができます。しかも事務所が近いので、管理の目も行き届く。こういった理由から、社有林を東京美林倶楽部の場としました」

画像: 東京美林倶楽部の会員が植えた、スギの苗木

東京美林倶楽部の会員が植えた、スギの苗木

2015年から始まった東京美林倶楽部の会員数は、現在150口を数える。

「150組のご家族の方々と、30年のお付き合いができる。これってまさに“顔の見える林業”だと思うんです。30年後、これらの苗木をその方たちがお使いになるんだから、わたしたちはしっかり育てていかなければならない」

さらに、東京チェンソーズがそこから得られる恩恵も見逃せない。

「弊社の社有林は10ヘクタールあります。そのうち1ヘクタールを東京美林倶楽部に使うとすると、スギ3,000本の植林が可能です。つまり、1,000口分植えることができる。入会金と30年間の年会費を合計すると1口8万円ですから、単純に計算すると8,000万円かけて山林を手入れできることになります。もちろん、毎年のイベントの経費はそれを切り崩して使うわけですが、浮いた分は運転資金に活用できる。弊社のような小さい会社としてはすごく助かります」

木こそ、再生可能な資源

2016年、東京チェンソーズは誕生からちょうど10年を迎えた。これからの10年、青木氏はどこへ向かうのか。

「あくまでも、わたしたちの現在の収益の柱は公共事業です。東京という、環境への意識が高い土地柄を考えると、そういった自然を管理していくための事業は今後も続いていくのだろうと思います。それはそれで収入源の一つとしながらも、自分たちがめざす林業、木を伐って売るという商売をしていきたい。そのために、木材としての製品化まできちんと行い、イベントなどを活用して自分たちでお客さまを見つけてくる。そうすることで、補助金が無くても成り立つ林業を確立できれば、それをさらに拡大していきたいなと思います。まずはその小さな成功例を、東京美林倶楽部などの取り組みによって作ろうとしている段階です」

画像: 東京チェンソーズの社員が使用しているドイツ製のチェンソー。ドイツは林業先進国として知られている。

東京チェンソーズの社員が使用しているドイツ製のチェンソー。ドイツは林業先進国として知られている。

創業メンバー4人で始まった会社は、現在正社員だけで9名。アルバイトを含めれば15名にのぼる。今後は、販路開拓に携わるスタッフを増やしていくと言う。すでに青木氏の頭の中には、新しい事業の構想がある。

「今考えているのは“森デリバリー”というサービスです。東京美林倶楽部は街から檜原村までお越しいただくものですが、森デリバリーは逆にこちらから街へ出ていく。言わば、森の恵みを詰め込んだケータリングカーです。そこで何を提供するかと言うと、例えば、木のスプーンやコップといった木工クラフトのワークショップ。それから、東京の木で作ったおもちゃや檜原村で採れた季節の野菜なども販売したい。特産の『ひのはら紅茶』をお飲みいただきながら木工クラフトを楽しんでいただきたいですね。ターゲットは女性を想定しています。週末の商業施設やイベント会場、それから平日仕事終わりのビジネス街などにお邪魔できたらと考えています」

青木氏はとにかくアイデアが尽きない。その源泉は、オンもオフも無い生活スタイルにあるようだ。

「今年の正月休みは、明治神宮に初詣に行った帰りに、その近くのカフェに行ってきました。飛騨高山の木工会社さんの設計・施工で、木造の素敵なお店でしたよ。別の日には、ガラスや和紙といった伝統的な素材を使ったデザイン展に行ってきました。休日は、何かしらイベントに行くようにしています。何が参考になるかわからないですから。この業界の中だけを見ているとあまり未来は感じられないですけれど、異業種を見ると“ああ、こういうのは林業に活かせそうだなあ”という発見がある。そう考えると、仕事とプライベートの境目はほとんど無いですね」

画像: 木こそ、再生可能な資源

青木氏が24歳で林業の世界に足を踏み入れてから、15年。その間、結婚して村内に家も建てた。それは、檜原村に骨を埋めるという覚悟の表れだ。今、その目にはどんな林業の未来が映っているのだろうか。

「林業が衰退しているという事実は、今でもまだ変わっていないとわたしは思います。最近、業界に若い人が増えてきて、注目度も上がってきてはいますが、まだまだ開拓の余地があるはず。これまで外国産の木材にしか目を向けていなかった工務店さんが地域の木材に目を向けて、使ってくださるようになれば、林業はもっと伸びていくでしょう。そのための努力を、林業の世界にいるわたしたちがやっていかなければいけない。

木の最大の魅力は、再生可能な資源であることです。何十年もしたら枯渇してしまう化石燃料と違って、木は伐っても植えれば、ずっと活用することができる。そういう意味でも、注目していただける産業になり得ると信じています。今のうちから“稼げる産業”の形を作っていけば、きっと林業の未来は楽しいものになるはずです」

憧れの探検部に入るために農大を受験し、自身の存在意義を求めて林業に就職。常に自ら考え抜いて選んだ道を、青木氏はひたすら真っ直ぐに走ってきた。同時に、走り続ける中でも冷静に状況をとらえ、長期的な視点で東京チェンソーズという組織を着実にステップアップさせてきた。30年後、その成果が“東京の美しい森”として人々の目の前に現れることだろう。それまで、青木氏の動きからは目が離せない。

画像: 青木亮輔(あおきりょうすけ) 1976年、大阪市生まれ。中学・高校時代を千葉県船橋市で送る。1999年、東京農業大学農学部林学科卒業。学生時代は探検部の活動に打ち込み、卒業後も海外遠征に参加するため研究生として1年間籍を置いた。出版社勤務を経て、2001年、東京都西多摩郡檜原村(ひのはらむら)の森林組合に半年間限定で採用される。2002年からは同組合の正式な作業員として森林整備に従事。2006年、森林組合で出会った3名の仲間とともに林業事業体「東京チェンソーズ」を設立。2011年に法人化し、株式会社東京チェンソーズ代表取締役に就任する。著書に『今日も森にいます。東京チェンソーズ』(徳間書店取材班との共著,2011年)。檜原村在住。

青木亮輔(あおきりょうすけ)
1976年、大阪市生まれ。中学・高校時代を千葉県船橋市で送る。1999年、東京農業大学農学部林学科卒業。学生時代は探検部の活動に打ち込み、卒業後も海外遠征に参加するため研究生として1年間籍を置いた。出版社勤務を経て、2001年、東京都西多摩郡檜原村(ひのはらむら)の森林組合に半年間限定で採用される。2002年からは同組合の正式な作業員として森林整備に従事。2006年、森林組合で出会った3名の仲間とともに林業事業体「東京チェンソーズ」を設立。2011年に法人化し、株式会社東京チェンソーズ代表取締役に就任する。著書に『今日も森にいます。東京チェンソーズ』(徳間書店取材班との共著,2011年)。檜原村在住。

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