1995年、年商とほぼ同額の40億円という負債を抱えていた家庭薬メーカーの老舗、株式会社龍角散。火の車だった経営を父から引き継いだ藤井隆太氏は、事業の多角化やリストラ策を掲げる古参幹部の反発に遭いながらも自らビジネスの最前線に立ち、「のどの専門メーカー」へと舵を切った。「のどを守る」という創業の原点に立ち返った老舗は、その後どう復活を遂げ、社会にどんな価値を提供してきたのか。さらに、プロのフルート奏者としての藤井氏の一面にもふれ、経営者に求められる資質とは何かを探った。

「前編:外から家業を見続けた8代目」はこちら>

崖っぷちの老舗が創造した、新たな市場

――1995年に藤井さんが社長に就任し、「のどの専門メーカー」として再出発した龍角散ですが、その後どうやって復活していったのですか。

藤井
復活のきっかけになったのは、1998年に女性社員の考案を元に開発した「龍角散嚥下(えんげ)補助ゼリー」です。高齢者になると服用する薬の種類が増えますが、ものを飲み込む嚥下機能が低下してしまう方もいらっしゃる。そういった方でも無理なく薬を飲み込めるよう開発した、世界で初めての“服薬ゼリー”というジャンルの製品です。医療・介護施設を中心に展開し、2年後にお子さま向けに「おくすり飲めたね(発売当時は「おくすり飲もうね」)を発売しました。

画像: 服薬ゼリーという市場そのものを、龍角散は世界で初めて生み出した。写真は「龍角散嚥下補助ゼリー」の派生製品として、服薬が苦手な成人向けに開発された「らくらく服薬ゼリー」。

服薬ゼリーという市場そのものを、龍角散は世界で初めて生み出した。写真は「龍角散嚥下補助ゼリー」の派生製品として、服薬が苦手な成人向けに開発された「らくらく服薬ゼリー」。

ちょうど、子会社を売却してできた資金がありましたから、そのうちの2億円をかけて「おくすり飲めたね」の広告を一気に打ちました。なかには「どうしてそこまでするんですか?」という社員もいましたが、わたしは「今しかない」と決断しました。変革を起こすためには、わたし一人の経営論を社員全員に説いて回るよりも、実行して結果を見せて、納得してもらうことが大事だと考えたからです。

インフルエンザが流行し服薬のニーズが高まったこともあり、「おくすり飲めたね」は多くのお父さま、お母さまに受け入れられました。そして、結果的に当社の業績向上につながったのです。これを知って、家庭薬業界は大騒ぎでした。そして社員も驚いた。「うちの会社、こんなことできたの?」って。

わたしが思うに、経営者と社員の関係はオーケストラの指揮者と演奏者の関係に似ています。指揮者は演奏者全員の譜面を持っていますから、一人ひとりの力を引き出してオーケストラ全体を最適化する使命と権限を持っているわけです。その前提になるのが、演奏者との信頼関係の構築です。各パートに対して「どう演奏したいですか?」なんて聞きまわる指揮者では、演奏者の信頼を得ることはできません。「俺はこの曲をこう表現したい。そのために、みんなが持てる力を発揮してくれ。責任は俺が持つから」。それこそが本当の指揮者です。経営者も同じだと思うのです。特に、変革が必要な局面では。

服薬ゼリーを生んだ、「のどの専門メーカー」の矜持

――なぜ、それまで競合メーカーは服薬ゼリー市場を開拓できなかったのでしょうか。

藤井
服薬ゼリー製品に一番求められることは、薬の作用や吸収に影響しないことです。薬の効果が正しく発揮されないと元も子もありませんから。また、糖分や保存料は絶対に入れてはならない。そのうえで大切なのが、のどに詰まらず、つるんと飲み込むことができる流動性があること。しかも、誤嚥せず安心して使ってもらうことができる。そういったノウハウを、我々は突き詰めました。

たまに当社の類似品を売り出す会社がありますが、防腐剤が入っていたり、ゼリーではなくペースト状になっていたりする。ペースト状だとのどに張り付いてしまい、危険です。そのくらい、他社には真似が難しい技術だということです。ただ、当社としてはこの技術を独占するつもりはありませんから、他社と特許ライセンス契約を結んだこともあります。

嚥下補助ゼリーは1個何百円という価格帯ですから、当初は大きな売上にはならないと思っていましたし、売れるかどうかもわからなかった。実際のところ、今、服薬ゼリー製品の売上は10億円規模ですから、当社全体の売上の1割にも届きません。けれども、それで救える命があるという確信があったからこそ、世に出したのです。

まだ嚥下補助ゼリーが開発段階だった頃、介護の現場に行って驚いたのですが、薬を飲み込むことができないお年寄りはおかゆに薬をまぶして食べていました。水だと薬が飲めないからです。嚥下補助ゼリーが登場したことでそんなことをする必要が無くなり、お年寄りが病気になっても食事を楽しめる社会になった。「当社はそういう価値を世の中に提供できる会社なんだ」という手ごたえを、我々はこの経験で得ることができました。

その後も服薬ゼリーの開発を続け、シリーズ製品としてお子さま向けの「おくすり飲めたね」や、嚥下機能は正常だけれど服薬が苦手な成人向けの「らくらく服薬ゼリー」、粉薬や漢方薬と混ぜて飲みやすくする「らくらく服薬ゼリー 粉薬用」が生まれました。

画像: 子ども向けの服薬ゼリー「おくすり飲めたね」。1998年発売の「龍角散嚥下補助ゼリー」から派生した製品だ。

子ども向けの服薬ゼリー「おくすり飲めたね」。1998年発売の「龍角散嚥下補助ゼリー」から派生した製品だ。

業界ごと成長する仕掛けづくり

――藤井さんが社長になられてから、会社の経営状態はどのように変化していきましたか。

藤井
2008年に発売した顆粒状の「龍角散ダイレクトスティック」や、2011年発売の「龍角散ののどすっきり飴」のヒットに加え、基幹製品である「龍角散」の香港や台湾、韓国への輸出を強化したことで、わたしの社長就任時に当社が抱えていた40億円の負債を返済できただけでなく、年々売上が伸び続け、2017年度は当時の4倍以上の約176億円に達しました。

そして、当社の売上だけでなく市場規模も年々大きくなっています。例えば、「龍角散」「龍角散ダイレクト」が該当する「散剤・顆粒タイプの鎮咳去痰剤(ちんがいきょたんざい:咳止め薬)」カテゴリーの国内市場が、この4年間で2倍近く拡大しました。これは結果として上がったのではなく、業界全体で狙って上げたものです。

――具体的にはどんな戦略をとったのですか。

藤井
2010年、中国人向け旅行ビザの発給要件が緩和されました。わたしはそれを知って「やがて中国人旅行客がたくさん日本に来る。これは業界にとって大きなチャンスだ」と確信しました。当社は50年以上前から台湾や韓国に製品を輸出しており、日本の漢方薬がアジアで人気が高いことを知っていたのです。そこで、家庭薬メーカー各社に声をかけ、中国の現地で配布されるフリーペーパーに共同で広告を掲載し続けました。その結果、数年前から、家庭薬目当ての海外からの旅行客が大挙して秋葉原などのドラッグストアに押し掛けるまでになりました。業界ぐるみの仕掛けが、ここに来て実を結んだのです。

秋田藩主への思いと、秋田の農業への貢献

――龍角散には200年続いてきた歴史があります。長寿の理由は何だと思われますか。

藤井
大事なのはスピリットです。江戸時代、ぜんそく持ちだった秋田藩主の佐竹候のために、当時医者として仕えていたわたしの先祖が「なんとかして殿を楽にして差し上げたい」という思いから、苦心して作ったのど薬が龍角散です。そして今では、生活者の皆さまののどをお守りするのが当社の使命です。先ほど中国からのインバウンド需要の話をしましたが、中国の皆さまはPM2.5などの大気汚染により、日常的にのどの不快感を抱えていらっしゃる。だからこそ当社の製品を必要とされているのです。時代が変わっても、根底にある「のどを守る」という思いは変わりません。

画像: 秋田県で栽培されているハーブの一種「カミツレ」。

秋田県で栽培されているハーブの一種「カミツレ」。

秋田県と当社との関わりは今でも深く、秋田県八峰町(はっぽうちょう)産のカミツレ(カモミール)を「龍角散ののどすっきり飴」のハーブパウダーに配合していますし、「龍角散」には同町で生産されたキキョウという生薬を使用しています。

秋田県で生薬の本格栽培が始まったのは、つい3年ほど前です。それまで我々の業界では、製品の原料となる生薬のほとんどを輸入に頼っていました。そして、その8割以上が中国産でした。ところが近年、中国国内での生薬需要の高まりや価格の高騰で安定供給が難しくなってきました。それに加え、生薬の品質のバラツキも問題になっていました。そこで、わたしが会長を務める公益社団法人東京生薬協会が日本国内での生薬栽培の道を探り、その取り組みの第1弾となったのが八峰町との「生薬栽培の促進に関する連携協定」なのです。

八峰町では耕作放棄地の増加が問題になっていました。また、農家の経営を安定させるためにコメ以外の農作物栽培の道を模索していました。そこで町が着目したのが、かつての秋田藩で栽培されていたことのある、生薬でした。我々の協会に町のほうからお話があり、協会が地元の農家に栽培の指導を行い、生産された生薬を当社などのメーカーが購入するという関係をつくったのです。

生薬を栽培していただくことが、秋田の農業の課題解決につながる。これは当社にとっても嬉しいことです。しかも、秋田産の生薬は品質がよく、香りが強い。こうした取り組みは他の町とも進めていて、藤井家発祥の地でもある秋田県美郷町(みさとちょう)とも生薬栽培の取り組みを始めています。

経営者に必要なのは、聴衆を見る目

画像: 音大出身で現在もフルート奏者として活動する藤井氏。撮影中、熱のこもった演奏を披露してくださった。

音大出身で現在もフルート奏者として活動する藤井氏。撮影中、熱のこもった演奏を披露してくださった。

――20年以上にわたり社長を務めてきた藤井さんですが、経営者に必要な資質とは何だと思われますか。

藤井
そもそも自分に経営者の資質があるのかどうかわかりませんが…わたしの場合は、やっぱり音楽家として活動してきた経験が経営に活きていると思います。皆さん、音楽って感性だけでできているって思われるかもしれませんが、実は違います。譜面はいわばデジタルです。それをしっかり読み込んで、どうやって音として具現化するのか考える。そのために、トレーニングを積んで演奏技術を上げていくのです。

そしてひとたび演奏が始まれば、もう止めることができません。何が何でも聴衆を魅了しなければならない。そこからが感性で、場合によっては譜面に無いこともしなければいけない。それは、音に強弱をつけるといった単純なことではなくて、聴き手の反応を見ながら、押したり引いたりするわけです。だから二度と同じ演奏はありません。

それは経営も同じだと思います。ただ戦略を実行しただけでは、生きた経営とは言えない。オーケストラで言う聴衆、つまり当社にとっての製品愛用者がどう思っているかを見て、経営判断をする。どうやったらお客さまの心に響くかなということを常に考えながら、物事を決める。

もちろん、社員のアイデアには耳を傾けます。以前、工場に行ったら新卒入社1年目の社員からわたしにこんな提案がありました。「この製品は昔から、パッケージを開けるとさらに内箱がある構造ですが、内箱をつくるのは無駄な工程だと思います。それより、パッケージごと透明フィルムで覆う“シュリンク包装”に変えませんか」。「その案、面白いな」って即、採用です。提案した彼を社内で表彰しました。このように、たとえ小さな会社であってもアイデアはいくらでも出てくるはずなのです。だから当社は、のど専門からカテゴリーを広げませんし、社員も増やしません。ずっと100人程度のままです。そのほうが一人あたりの生産性も高いですし、社員が自由に動けるからです。

社内からの抵抗やバッシングといった逆風に打ち勝てる胆力も、経営者に必要な資質と言えるのかも知れません。会社を変えるのは、ものすごくパワーが要ることですから。あとは、経営で結果を出せたからと言って、いい気にならないことでしょう。そのために、常に自分にとって「怖い人」を持つことが大事です。

――藤井さんにとって「怖い人」とはだれですか。

藤井
最初に勤めた小林製薬の小林会長です。今でもたまに会うと「おっ! 最近調子いいからって調子に乗るなよ!」「ははーっ」という感じで、おっかない存在ですよ。それと、音楽の師匠でN響の首席フルート奏者でいらした小出信也先生。わたしは今もプロのフルート奏者として活動しているのですが、いまだに小出先生からは「なんて笛吹くんだ。ちゃんと練習してるのか!」って怒られます(笑)。

画像: 経営者に必要なのは、聴衆を見る目

――経営者としてかなりお忙しいと思いますが、フルートの練習時間は確保できているのですか。

藤井
できていません。プロの演奏会が近いときは、週末を使って練習しますけどね。それより譜面をきちんと理解していることが大事ですし、人を感動させるには、技術だけではなく人生観を持っているかどうかですから。毎日バリバリ練習していた学生時代よりも、今のわたしのほうがいい演奏ができていると思います。

あとは、歩くことですね。毎日1万歩は歩いて、筋力を維持しています。フルートは管楽器ですから、呼吸器が強くないとブレスの長い音が出せません。そういうことの積み重ねで、経営者自ら健康でいられるよう努めています。まさに「健康経営」ですよ。

「セルフメディケーション」の時代へ

――最後に、今後の御社のビジョンについて教えてください。

藤井
経営者としてのわたしの旬は、あと8年くらいまでかなと思っています。つまり、就任してちょうど30年。そのくらい経つと、世の中かなり変わります。それまでは、のどに関する専門性をもっと強くして、より多くの生活者の皆さまのお役に立ちたい。不景気や少子化でものが売れないという声もありますが、わたしはそんなことはないと思います。

例えば、生活者一人ひとりの「健康管理」という切り口で、当社にはまだまだ提供できる価値があると信じています。わたしが思うに、保険医療制度はもう限界に来ています。今、生活者は保険医療に頼りきりになっていますが、そこには国の予算が使われている。ところが、お医者さんにも患者さんにもその認識が無いので、お医者さんはどんどん薬を処方するし、患者さんは飲みきれなくて薬を捨ててしまう。それはある意味、薬を粗末にしているとも言えます。

わたしはもう少し、医療の適正化ということを考えなければいけない時期に日本は来ていると思います。それは制度だけの問題ではなく、生活者の皆さまの意識の問題でもある。医者任せにするのではなく、自分の健康は自分で管理する「セルフメディケーション」という考え方です。何かあったらすぐ医者にかかるのではなく、市販の薬を飲んでケアする。そういった、生活者を啓発していく義務も我々の業界にはあると思います。そのなかで当社は、「のどの専門メーカー」として、皆さまの健康管理にもっともっと貢献していきたいですね。

J-CSV提唱者の視点

名和 高司 氏(一橋大学大学院 経営管理研究科 国際企業戦略専攻 特任教授)

世界に存在する創業200年を超える企業のうち、半数以上が日本企業だという。しかし、その多くは、いまだに家業を営む零細企業のままである。元祖・CSVの提唱者であるマイケル・ポーター氏から、「日本のCSVはsustainable(持続性)であっても、scalable(成長性)ではない」と揶揄させる所以である。

その点、龍角散は異次元の存在だ。200年の歴史を刻みながら、この20年間で4倍の成長を遂げている。その秘訣は、藤井隆太社長が実践する「ピボット」経営にある。ピボットとは、バスケットボールでもおなじみのように、軸足を動かさず、もう一方の足で360度の自由度を確保する動きを指す。藤井社長は、「のどを守る」という同社の存在理由(purpose)に立ち返ることで、軸足をしっかりと踏みしめなおした。そのうえで、「らくらく服薬ゼリー」のような画期的な次世代製品を次々に世に送り出している。まさに「のどを守る」という企業理念をピボットさせて、「命を守る」企業として躍進している。

エコシステム上のピボットも注目される。生薬を国内生産に切りかることで、秋田の農業の活性化を支援。同業他社と協力して、インバウンド顧客に対して日本の漢方薬ブームを演出。さらに、日本の顧客に対しても、セルフメディケーションなどの啓発を通じて、医療費問題の解決策を仕掛けている。

やみくもに新規事業に飛びつくことに答えはない。自社の企業理念を軸足に、社会課題の解決をめざすことで「拡業」を続けていくことが、ピボット経営の要諦である。日本企業の99.7%を占める中小企業にとって、藤井社長が実践するJ-CSVは、次世代成長に向けた「良薬」になるはずだ。

画像: 藤井隆太 1959年、東京都生まれ。桐朋学園大学音楽学部研究科修了。高校在学中からフルート奏者として活動。1985年、小林製薬株式会社に入社。三菱化成工業株式会社(現・三菱ケミカル株式会社)を経て、1994年に父の故・藤井康男氏が経営していた株式会社龍角散に入社。翌年、代表取締役社長に就任。龍角散は江戸時代から続くのど薬の老舗であり、隆太氏は初代から数えて8代目、社長としては5代目にあたる。現在も、プロのフルート奏者として時折活動を続けている。

藤井隆太
1959年、東京都生まれ。桐朋学園大学音楽学部研究科修了。高校在学中からフルート奏者として活動。1985年、小林製薬株式会社に入社。三菱化成工業株式会社(現・三菱ケミカル株式会社)を経て、1994年に父の故・藤井康男氏が経営していた株式会社龍角散に入社。翌年、代表取締役社長に就任。龍角散は江戸時代から続くのど薬の老舗であり、隆太氏は初代から数えて8代目、社長としては5代目にあたる。現在も、プロのフルート奏者として時折活動を続けている。

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.