鮮やかな言葉で切り取られた、夢のような情景。自然を愛で、過ぎていった時間に優しく触れる本の旅へ。

 

『富嶽百景・走れメロス』
@山梨県吉田

『富嶽百景・走れメロス』太宰治(岩波文庫)¥640

『走れメロス』で疾走する景色を、濁流を、急ごしらえの宴を描いた太宰治は、だがいつも急いでいたわけではない。同じ文庫に収められた短編『富嶽百景』では、富士山の姿をさまざまに眺め、つぶやき、書き残している。十国峠から見た富士山に〈完全のたのもしさ〉を感じてげらげら笑ったと思えば、御坂峠ではその景色に辟易して〈風呂屋のペンキ絵〉のようだと毒づいてみせる。

そんなひねくれ者の太宰が日本一の山の美しさに圧倒されたのが、吉田で遭遇した〈夜の富士〉。夜の10時頃、静かな道に〈月光を受けて、青く透きとおるよう〉な富士山が〈青く燃えて空に浮かんでいる〉。リズミカルに続く文章から、狐に化かされたような気持ちを抱かせるほどの幽玄の美が立ち上がってくる。

富士が、したたるように青いのだ。燐が燃えているような感じだった。鬼火。狐火。ほたる。すすき。葛の葉。私は、足のないような気持ちで、夜道を、まっすぐに歩いた。

 

『彼女は鏡の中を覗きこむ』
@福島県猫啼温泉

『彼女は鏡の中を覗きこむ』小林エリカ(集英社)¥1300

〈山の端の月〉を詠んだ和泉式部の歌からはじまる中編『宝石』で、母を連れた4人姉妹が訪れるのは、霧のような雨のなかに立ち現れる温泉郷だ。和泉式部の故郷と言い伝えられ、〈よみがえりの湯〉ラジウム泉が湧く猫啼温泉。露天風呂の湯気に導かれて見上げた空には月が輝いている。連続する記憶と時間が描かれる小説集から。

細くうねる国道を進んだ山間に猫啼温泉はあった。アスファルトの向こうで木々が微妙に紅葉していた。

 

『佐渡の三人』
@新潟県佐渡島

『佐渡の三人』長嶋有(講談社文庫)¥600円

〈佐渡は孤立した島だから、佐渡にしか明かりがない。それで星がよくみえる〉と書かれた島へ、主人公たちは納骨のため旅をする。黒い服が集まったお寺に流れ込んできた太鼓の音と、日暮れの空き地に舞う子供たち。伝統芸能として伝わる「鬼太鼓」の練習のための秋の数時間の情景と、小さな笑いに心がほどかれる連作集。

寺を出ると、日暮れの空き地で子供たちが獅子舞をしていた。「明日、お祭りなんですよ」坊さんが教えてくれた。太鼓は祭りの練習だったのだ。

 

『サンドウィッチは銀座で』
@大阪府ミナミ

『サンドウィッチは銀座で』平松洋子 画・谷口ジロー(文春文庫)¥580

〈食い倒れ〉とはなんという言葉の結びつき……と人を慄かせながらも、日本中から、世界各地から人々が吸い込まれていくのが大阪という町である。道頓堀川に映るネオンに提灯、法善寺横丁の佇まい。織田作之助『夫婦善哉』にならって、カレーを食べおでんで飲む筆者の隣に座っているような心持ちで、食いしん坊の夢の国へ!

打ち水に濡れてしっとり光る石畳。水掛不動尊の線香の匂い。見上げれば、にぎやかな看板のむこうに細く切り取られたミナミの空。

 

『遥かなる山旅』
@北アルプス針ノ木岳

『遥かなる山旅』串田孫一(中公文庫)¥920

10代半ばで登山を始め、やがて山の文芸誌『アルプ』を創刊した串田孫一。生涯、山について思索し続けた自身を登山家でなく「登山者」と呼び、山登りの喜びを広く伝えた。40以上のエッセイと2編の詩を集めた名著『山歩きの愉しみ』を改題したこの一冊には、詩人の目と心を喜ばせた夢のような瞬間が多く書き写されている。

この真夏の光る天の清冽/ぼくたちはもうその中にいるのですしいいんとしているこの深さ/何だか懐しいような気がしませんか七弦琴と竪琴が奏でている/これが天体の大音楽かも知れない

 
●情報は、FRaU2018年7月号発売時点のものです。
Text:Hikari Torisawa

 

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