琉球の風にたなびく芭蕉交布と、思わず触りたくなる丸みをもつパナリ焼。手仕事の目利きとして世界を旅する、中原慎一郎さんが訪ねたのは、沖縄・八重山諸島の西表島と石垣島。

古い物語に描かれたような景色の中で、アジアの大地と暮らしが生むプリミティブな美しさを見つけました。

 
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日本の伝統工芸を超えた
アジアの手仕事をめざしたい

糸芭蕉の茎。外側の硬い層を鎌で剥ぎ、芯の繊細な部分だけを使う。一本から採れる糸は2~3g。

鎌でざくざくと葉を刈り、中央に現れた茎の周りも剥いでいく。外側の硬い部分は糸にせず、帽子やカゴを編むのだという。5、6枚剥いだところで、透明がかったシルクのような繊維の束が現れた! 採れたばかりの糸はなんてきれいなんだろう。
 

画像: 「幹と茎は糸になり、皮は帽子に、渋は漁網の塗装に使う。糸芭蕉は捨てるところがない」と石垣さん。この島では、自分たちの服も、祭の衣装も芭蕉からつくる。

「幹と茎は糸になり、皮は帽子に、渋は漁網の塗装に使う。糸芭蕉は捨てるところがない」と石垣さん。この島では、自分たちの服も、祭の衣装も芭蕉からつくる。

「芭蕉布は沖縄を代表する工芸だけど、私は “アジアの手仕事” だと思ってる。日本の伝統工芸というより、熱帯の北限の手仕事ですよ。だからこそ、芭蕉がどんな植物でどうやってできるのか、つくる人にも使う人にも知ってほしい」と石垣さんがいえば、中原さんも「わかります、わかります。アメリカの友達が、自分で畑をつくってコットンを育てて糸を紡いで洋服をつくって、その工程を全部インスタグラムで公開しているんです。そうすると完成品だけを見せるよりも、ちゃんと価値が伝わって、完売するんだと言ってました」
 

研修生が使う、昔ながらの機織り機。

ものづくりの今とこれからを真摯に考えるふたりが、ちょっぴり前のめりぎみに言葉を交わしている。なんだか親子みたい。美しい光景だ。

「今は仕事のプロセスが大事ですよ。うちには本土や沖縄からの研修生も多いんだけれど、いつも言ってるの。“布づくりで大切なのは素材づくり。機に糸をのっけるころには、仕事の9割が終わってる” って。まあね、私も40年がんばってきたから、これからはがんばらない仕事をしながら、大事なことを次の世代につなげていこうかなって思ってる」
 

庭でパナリ焼を発見。

太陽がてっぺんから照りつける時刻になったのを感じて工房へ戻ると、庭のユウナの木の根元に、コロンとまるい褐色の焼き物が見えた。

「もしかしてパナリ焼ですか?」

果たしてそれは、200年ほど前のものだった。かつて八重山で唯一石炭が採れた西表島は、明治半ばから第二次世界大戦終戦ごろまで、炭鉱事業で潤っていたという。そのころはパナリ焼の壺や陶片を浜辺で見つけることも少なくなかったそうだ。「そうですか。昨日も “20年前にはよく浜辺に落ちていた” という話を聞いて、南風見田の浜に行ってきたんですけど」という中原さんに、石垣さんは「あらやだ、もう無かったでしょう?」と大笑い。
 

画像: 「昔は浜辺にパナリ焼の陶片が転がっていた」と聞いて、居てもたってもいられなくなった中原さん。黄昏時を迎えた南風見田の浜を、真剣にパトロール中。

「昔は浜辺にパナリ焼の陶片が転がっていた」と聞いて、居てもたってもいられなくなった中原さん。黄昏時を迎えた南風見田の浜を、真剣にパトロール中。

――そう、実は昨日パナリ焼の展示館へ行った後、中原さんは「ちょっと、浜辺で探してみませんか?」と切り出した。向かったのは西表島随一のロングビーチといわれる南風見田の浜。夕暮れの風は気持ちいいけれど、亜熱帯特有の濃密な空気もはらんでいる。赤みを帯びた砂の上を歩き、きれいな貝やサンゴのかけらは拾えたものの、残念ながらパナリの陶片は見つからず……だったのだ。

南風見田の浜
沖縄県八重山郡竹富町字南風見

つづく……
次回更新は、11月17日(土)です! お楽しみに!!

 

PROFILE

中原慎一郎 Shinichiro Nakahara
1971年鹿児島県生まれ。1940~60年代のモダンデザインや民藝をルーツとしたものづくりを提案する「ランドスケーププロダクツ」を立ち上げる。東京のショップ〈プレイマウンテン〉のほか、サンフランシスコの店舗も好調。

 
●情報は、2018年8月現在のものです。
Photo:Norio Kidera Text:Masae Wako

 

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