果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

※昭和53年春場所、前相撲に臨む大乃国。体重は83キロしかなかった
写真:月刊相撲

【前回のあらすじ】柔道の有望少年だった大乃国は現役時代の元大関魁傑にスカウトされ、内弟子として花籠部屋に入門。そこに待ち受けていたのは、厳しい兄弟子たちのかわいがりだった。耐え抜いた丸3年後、師匠の放駒親方がようやく重い腰を上げ、独立することに――

師匠の独立で生き返った力士生活

 さあ、再スタート。これからオレの本当の力士生活が始まる。幕下で負け越した直後だったが、引っ越し荷物を担いだ大乃国の心は明るく弾んでいた。

「生き返る、というのは、あのときのことを言うんでしょうねえ。自分はスランプになると、周りの雰囲気にすぐ飲まれちゃうタイプ。独立すると、自分が部屋頭でしたから、稽古だって、なんだって率先してやらなくてはいけませんからね。独立してからは、ホントによく稽古し、よく食って、よく寝たなあ。もうちょっと師匠の独立が遅れていたら、今日のオレはいなかったと思いますよ」

 と、平成3年(1991)名古屋場所限りで引退した当時、大乃国改め大乃国(のち芝田山)親方は、この力士生活最初の転機を振り返った。

 この新しい部屋がいかにノンビリ屋の大乃国の生活に合っていたか。移籍直後の春場所、転落した三段目で勝ち越してたった1場所で幕下に返り咲くと、なんとそれから5場所連続勝ち越し、独立後たった1年で十両に駆け上がったことでよくわかる。

「おやっ」

 昭和56年(1981)初場所、幕下東筆頭で4勝3敗と勝ち越し、十両入りを確実にした大乃国は、1年前に比べて一回りも二回りも大きくなった自分の体を見回して鼻をビクビクさせた。一時は薄れた故郷の北海道の土の匂いが、また戻ってきたような気がしたのだった。

 大乃国が十両に昇進したのは、19歳と4カ月だった。貴花田の17歳2カ月には比ぶべきもないが、序ノ口から25場所目のことで、40場所といわれている十両昇進に要する平均場所数を大きく上回り、しかも新興の放駒部屋から初めて誕生した関取。大騒ぎするな、という方が無理で、あっという間に化粧廻しだけで3本も集まった。

 初日が近づくにつれて昇進のお祝いや、激励会はひきも切らず、

「末は横綱間違いなしだ。これからもずっと応援させてもらうから、頑張れよ」

 と背中をたたかれる数も、毎日数え切れなかった。

 この幕下時代とは手のひらを返したような周囲の熱狂ぶりに、若い大乃国が有頂天にならない方が不自然だった。

画像: 昭和57年春場所、入門から4年で新十両に昇進した大乃国(当時大ノ国)

昭和57年春場所、入門から4年で新十両に昇進した大乃国(当時大ノ国)

幕下陥落でつかんだ人生哲学、勝負哲学

 しかし、このしっぺ返しはすぐに。いきなり2連勝と、新十両のスタートは快調だった。ところが、中盤で4連敗、さらに3連敗と二度も大きな連敗をしたのが大きく響き、終わってみると5勝10敗という惨敗。あれほど期待されたにもかかわらず、たった1場所でまた幕下に転落する、という憂き目に遭ってしまったのだ。

 すると、どうだ。つい半月前まで、大乃国に、

「オイ、飯でも食いに行こうか」

 と声を掛け、

「頑張れよ」

 と肩をたたいてくれた人たちが、まるで申し合わせたようにクルリと背中を向けたのだ。それは19歳の大乃国が初めて見たシビアな世の中の裏の顔だった。

「もうビックリなんてもんじゃありませんよ。確かに、自分も、トントン拍子に十両に上がれたもんですから、テングになっていた部分がないとは言いません。でも、周囲の変わりようには、思わず戸惑ってしまいました。それこそニコニコしながらすり寄って来た人たちが、一夜にして鼻もひっかけなくなるんですから。そのころはまだ考え方が子どもだったので、これが世の中というもんだ、ということを理解し、受け止めるのはつらかったなあ」

 と大乃国親方はしみじみ話す。

 いかにこのときのショックが大きかったか。再び十両にカムバックするまで3場所、およそ半年かかったことを見ればよく分かる。

 ――この世界で、頼りになるのは自分だけ。イヤな思い、人間の醜さを見たくなかったら、負けちゃだめなんだ。文句があったら、まず勝て。

 これがその間に大乃国がつかんだ人生哲学で、勝負哲学だった。

 57年九州場所、精神的なショックから立ち直り、人間的にも一回りたくましくなった大乃国は、二度目の十両昇進を果たし、半年前とは勝ちと負けが全く逆の10勝5敗で見事勝ち越した。そして、次の58年初場所には、惜しくも決定戦の末に優勝は逃したものの、11勝4敗という好成績を挙げ、幕内昇進をモノに。

 薬は苦いほど、よく効く。大乃国は一般社会の8カ月前に大人社会の洗礼を受け、心身ともに大人になったのである。(続)

PROFILE
大乃国康◎本名・青木康。昭和37年(1962)10月9日、北海道河西郡芽室町出身。花籠→放駒部屋。189㎝211㎏。昭和53年春場所初土俵、57年春場所新十両、58年春場所新入幕。60年名古屋場所後、大関昇進。62年夏場所、全勝で初優勝。同年秋場所後、第62代横綱に昇進。幕内通算51場所、426勝228敗105休、優勝2回、殊勲賞5回、敢闘賞2回。平成3年名古屋場所で引退後、年寄大乃国から5年3月に芝田山を襲名。平成11年6月に独立して芝田山部屋を創設、弟子の指導育成にあたっている。

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