新海誠監督によるアニメ映画。
100%晴れ女の力を得た少女に恋した家出少年 帆高(ほだか)が迫られる、究極の選択とは。

ストーリー

異常気象ともいえる長雨にさらされる東京。

無限に続くかのような雨天の中で、晴れ間を望む者の願いを叶え、自在に晴天を呼び込む不思議な力を持つ“100%の晴れ女”が存在した。
その少女、陽菜に恋した少年 帆高は、彼女の力を活かして金儲けをするアイデアを思いつく。しかし、彼女とその弟の生活費を稼ぐ良い手段と思えたそのアイデアが、実は陽菜に重大な代償を支払わせることになるとは、夢にも思わなかったのだった。

愛は利己的なものでいいと思う

九州地方が豪雨の被害に苦しんでいることは承知しているが、激しい雨に変容していく東京の姿を描いた本作では、凄まじい気候変動を止めることと、愛する人を守ることのどちらかを選ばされる少年の、ある意味身勝手な選択を肯定する内容になっている。

好天気や豊穣を得る代償に生贄を捧げる風習は、日本だけでなく世界各地に見られるものだが、多くの人を救うために誰かを犠牲にできるか?という究極の選択を迫られた人はどれだけいるだろうか。

陽菜は天気を変える力を持つが、その力を使い続けるには、自分自身を生贄としなければならない。陽菜を愛する帆高は、雨を止めて彼女を失うか、彼女を止めて雨が降り続けるに任せるか、どちらかを選ばなければならない。そして陽菜もまた、自分には雨を止める力があることは知っているが、それは自分を犠牲にしなければならないことも理解している。
ネタバレになるが、ティーンエイジャーの彼らは、東京の気候がどう変容しようとも愛する人を守るという選択をする。

でも僕はそれでいいと思う。
人類愛のようなものは容易には信じられない。実際には、身近で特定の誰かを救いたい、愛する人を守りたいという想いだけが真実であって、知らない誰かを救いたいと素直に思える救世主のような人は、人類誕生以来数人もいないと思う。

少なくとも自分だけが助かりたい、という自己愛ではなく、愛する人だけは救いたいという気持ちを 自分勝手と責めることは誰にもできないのではないか?と思うのである。

画像: 『天気の子』愛は身勝手でなにが悪い?と思わせてくれる作品

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。

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