アジア初のアカデミー作品賞(および脚本賞、監督賞、国際映画賞)に輝いた作品。半地下の家で生きる下層階級の家族が、高級住宅で暮らす上級家庭に入り込んでいく姿を、巨匠ポン・ジュノ監督が緻密に描く。

韓国のみならず、アジア映画に立ち塞がっていたガラスの天井を打ち破った作品

半地下住宅に暮らす貧乏家族。仕事もないし金もない。何度と試みた事業にも失敗してきた身の上を嘆く力もない。ただ、明るさだけは失わず、絶望に打ちひしがれているわけでもない。
そんな家族たちに、訪れた夢のようなチャンス。
それは、高級住宅地に住む、何不自由のない家族の生活に入り込み、パラサイト(寄生生物)として生きることだった。
長男がまず 家庭教師として入り込み、妹、父親、母親が別人になりすまし、富裕な家族からの信頼を得つつ、仕事を得ていく。

しかし、そんな半地下家族が描いた完璧な計画が、ある日 突如崩れ去る。

経済成長を実現した韓国における社会問題となった、激しい貧富の差をテーマに描かれた問題作は、米国作品優位の 保守的な映画人たちの強い支持を集め、外国映画初のアカデミー作品賞を獲得したエポックメイキングな作品となった。

富める者への憎悪は見えない作品

本作を観て意外に思ったことは、(半地下住宅に暮らすことを余儀なくされているような)貧しさに喘ぐ者たちは必ずしも裕福な層に対して敵意を抱いていないし、富裕な者は決して貧しい者に対して侮蔑の意識を持っていないとして描かれている様子だ。

半地下家族たちは、富裕な家族に徐々に入り込み、彼らのおこぼれに預かろうとするが、例えば『太陽がいっぱい』のトム・リプリーのように富める者たちへの憎悪や、彼らにとってかわろうとするような野心はみせない。もちろん半地下での生活から抜け出したいとは思っているかもしれないが、そのためになんでもしてやるというような渇いた欲望はないように見える。ただ飢えてはいるから、多少の嘘や粉飾はしても悪びれることはない。それはないのだが、その背景には仄暗い悪意や敵意はない。ただただ、少しでもいい生活がしたいだけであり、自分たちには夢のような生活を送っている者へは、その生活レベルを引き寄せた運と能力、あるいは努力に対する敬意を抱くのである。

この感覚はポン・ジュノ監督ならではのものかもしれないし、韓国人全体に共通するものかもしれないが(失態を犯した財閥などへの対応は日本以上に苛烈に復讐するかのように見えるから、韓国社会が富める者に寛容であるという見方は違うかもしれない)、少なくとも 本作に対する先入観を覆す、好意的なポイントではあった。トータルとしては暗い話ながら、観了後の気分がひどく暗くはならないのは、半地下家族たちが、徹頭徹尾明るさを失わないでいてくれるからだろうと思う。

意識しない差別意識は、臭いに対する反応であらわれる

ただ、富める者たちが、半地下家族に対して 生理的に受け付けない様子として描かれるのが、臭いに対する反応だ。人種は同じであっても、食べるものや日々の暮らしの中で染みついた何らかの臭いは、上流社会に生きる者たちにとっては耐えがたい悪臭であり、それが激しい嫌悪と差別につながる行為とは気づかないままに、鼻を塞ぎ 顔をしかめてしまう。
そして、貧しい者はそうした表情と仕草に過敏となって、内なる憎悪をかき立てられてしまうのだ。
半地下家族たちにしても、自分たちの暮らしがまともであるとは思っていない。自分たちに、特有の臭いがあることを恥じることは恥じるのだが、いくら洗っても石鹸を変えても清潔を心がけても、自分たちに染み付いたその臭いを消せないとわかったとき、その諦めは、自己否定の思いとともにそれを思い知らせてくる存在(つまり富裕層)への憎悪と変わるのである。

本作は、僕の感覚ではアカデミー作品賞に値する一本であるとは思えない。たまたま映画界が米国作品以外の作品を評価しなければならないと考えたときに存在しただけ、と考えるのだが、それでもそのワンチャンスをものにする幸運を持ち合わせた作品であったことが重要だし、米国の映画人の感性に訴える 特別な臭いを放っていたことも間違いがない。

その意味で、ポン・ジュノ監督はやはり“持っている”人であり、その彼が生み出した本作を見逃すことはできないのである。

画像: 『パラサイト 半地下の家族』貧困に生きる者が富裕層に対して抱く想いとは

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。

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