1982年に初公開された「ランボー」シリーズの5作目にして最終章。主演はもちろんシルベスター・スタローンだが、どんな英雄も老いには勝てないという、生き物の性を思い知る作品だ。

シルベスター・スタローンの代名詞的作品の最終章

20世紀終盤の2大肉体派スターと言えば、やはりシュワルツェネッガーとスタローン。シュワルツェネッガーの代名詞がターミネーターならば、スタローンの代名詞はロッキーと このランボーということになるだろう。

ベトナム戦争におけるPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされ、悪夢のような暴力や死の恐怖から逃れられずにいる元グリーンベレーの凄腕兵士ジョン・ランボー。第1作では、その浮浪者のような風体や行動が周囲と軋轢を起こし、まるで思いがけずに街中に出現してしまった空腹の野生の肉食獣が、人間たちに追い立てられていくかのように、決死の反撃を試みていく様が描かれたが、2作〜4作目まではその類い稀なる戦闘力と容易に発動する暴力性を買われて、プロの戦争マシーン(≒傭兵)として紛争地に向かわされる。

第1作の原題『First Blood 』にあやかって『Last Blood』と命名された本作では、とうに引退して老いたランボーが、ようやく得たはずの安逸を侵されて、再び 暴力の世界へと舞い戻ってしまう、というストーリーになっている。

ストーリー

本作では、引退したランボーは故郷のアリゾナで牧場で、古くからの知人であるメキシコ人の老女マリアとその孫娘ガブリエラとともに、実の家族のように暮らしている(ガブリエラの母は既に他界、父親は女を作って逐電してしまって不在。ランボーが2人の庇護者になっている)。
とはいえ、彼のPTSDは完治したわけでもなく、彼自身は牧場に無数のトンネル(塹壕と呼ぶべき?)を掘って、その中で生活している有様だ。

そんなある日、自分たちを捨てて失踪した実の父親の行方を知ったガブリエラはメキシコに向かうが、運悪く 地元の悪質な売春組織に拉致されてしまう。そのことを知ったランボーは、怒りに燃えて 単身ガブリエラの救出に向かうのだが・・・。

年老いて力を失った かつての無敵の兵士が、愛する家族のため、老骨に鞭打って新たな闘いに身を投じるという設定なのだが、やはりアクション映画ならばせめて50代まで、できれば20-30代のヒーローがいいと思わざるを得ない。老醜を晒されるのはただただ哀しくなるというものだ。

自分はまだできる、と張り切るのは勝手だが、やはりそれは老害以外の何者でもない。

ランボーファンならみないほうがいいかもしれない?

本作は、スタローン以外 著名な俳優は出てこない。基本的に相当な低予算の、B級映画だと思う。
脚本もわりといい加減で、実父がガブリエラを捨てた理由もよくわからないし、辻褄が合わない伏線がいろいろあるのに、そのほとんどが回収されない。そもそも、この映画がランボーシリーズである意味があるのか(というか、ランボーである必要あるのか?)という根源的な疑問さえ感じてしまうほどだ。

普通に、トラウマを抱えるベトナム帰還兵が、不運にも孫娘を犯罪組織に拉致されてしまい、その復讐に立ち上がる、という単なる普通のB級アクションにしておけば、まあこんなものかなという感想だけで済むと思うのに、スタローンを使って、しかもランボーモノに当て嵌めようとしてしまったばかりに、余計な突っ込みどころを目立たせてしまった、というのが本作への印象だ。

僕はスタローンファンでもないし(彼の作品をほぼ全部観ているからといってファンなわけではない)、ランボー推しでもないが、この作品については、たまたま観た低予算娯楽作品、という体にしておきたい。観終わったあとの今では、本当に願うところはそれだけなのである。

画像: 『ランボー ラスト・ブラッド』 老兵は死なず、でよかったのか?

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。

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