2日間で延べ10万人が千葉県幕張海浜公園に集まったレッドブル・エアレースワールドチャンピオンシップ2019 千葉大会。ホームゲーム3勝目を獲得した日本の室屋義秀選手の戦いは感動的だった。しかしなんとこのエアレース、2019年シーズンが最後の開催である。そこで室屋選手は文字どおり有終の美を飾ったわけだが、これで彼の挑戦も終わってしまうのだろうか。(写真:小平 寛)

室屋選手へ単独インタビュー
2017年ワールドチャンピオンに輝くまでの経緯と心境

ファルケンカラーの室屋選手の機体。これが見られなくなるのは寂しい。

実は室屋選手に単独インタビューしたことがある。2018年1月13日、東京駅から千葉県幕張で開催される東京オートサロン会場へ行くクルマの中で、である。

室屋選手はファルケンブースで開催されるトークショーに出演するために幕張まで行くのだが、その移動の時間をもらったというわけだ。ファルケン(住友ゴム工業)が取り持ってくれた縁である。ほんの1時間ほどだったがあのときほど1時間が短く感じたことはない。私はそれほど室屋選手との会話に没頭していた。

プレス対応も素晴らしい室屋選手。

改めてインタビューファイルを聞いてみた。その前年(2017年)にワールドチャンピオンとなったシーズンのその経緯を実に詳しく語ってくれている。

実はその年(2017年)の初戦、アブダビ戦の結果は14位中13位だった。つまりどん底からのスタートとなったわけだ。そして千葉での初優勝で完全に波になったかに思えたが、ロシア戦から徐々にその歯車が狂い始めていたようだ。そうした経緯とそのときの心境が実に詳細に語られていた。

室屋選手のピット。かなり整頓されている。

しかしそこで完全に崩れないのが室屋選手である。後半戦は、彼の口から「かなりリスキーな作戦をあえて選んだ」ということも聞いている。そうしたことの積み重ねが最終戦インディアナポリスでの神がかりな優勝となった。

「(タイム表示が)壊れているかと思った」と本人が言うほどの最速タイムだ。さすがにこのときは「勝ったな」と思っていたようだ。それほどのタイムなのである。周りから“神がかり”と思われていたのも無理もない、決勝に進出した他の選手が戦意喪失するようなタイムだったのである。そこでマルティン・ソンカ選手に4ポイント差を付けてワールドチャンピオンを決めた。このレースは、室屋選手のベストレースと言えるかもしれない。

2日間で10万人が千葉の幕張に来場したエアレース2019。

実は2017年は全8戦、エアレースが行われている。そのうち4戦を室屋選手は優勝しているのだ。あとはマルティン・ソンカ選手が2勝、カービー・チャンブリス選手が2勝である。圧倒的な優勝回数を誇るが、逆に0ポイントで終わったレースも2戦ある。それが室屋選手の優勝が最終戦までもつれ込んだ理由だ。結果的にはエアレース史上もっとも記憶に残るレースはインディアナポリスで繰り広げられた訳だから、これが室屋選手の演出だとしたら最高の演出家である。

2017年インディアナポリスで驚異的なタイムをたたき出し優勝とワールドチャンピオンを決めた。©Predrag Vuckovic/Red Bull Content Poo

ホームゲーム2回の優勝を果たした室屋選手
神がかりなフライトは多くの観客に感動と興奮を与えた

優勝者にのみ許されるインデアナポリス(サーキット)のレンガへのキス。©Joerg Mitter / Red Bull Content Pool

私は、室屋選手の千葉戦はほとんど見てきた。そして毎年感動をもらっているが、2016年に初優勝したとき、初戦のラウンドオブ14でスモークが出なくて1秒のペナルティをもらっている。そのときの心境を聞いたところ「パイロットは後は見えないので気がつかなかった」そうだ。

実に多くのファンがいることがひと目でわかる。

普通はこれで敗退してしまうところだが、室屋選手の場合、相手が崩れて勝ち上がっていくという強運を見せる。さらに千葉戦の室屋選手は、多くの観客の熱い声援もあり、まさに神がかりなフライトを見せてくれ自身初の優勝を果たす。観客席は興奮と涙と笑いと感動に満ちあふれていた。

スポンサーのファルケンブースには室屋選手の機体のレプリカが展示されていた。

そしてワールドチャンピオンになった2017年も振り返ると、ラウンドオブ14は0.007秒差での勝利。ラウンドオブ8では、さらにコースを攻めてペナルティをもらったが、対戦相手もペナルティを受けるなどで逆転、さらに決勝でもプレッシャーに負けた対戦相手が次々にミスを犯してしまうのである。そしてホームゲーム2回目の優勝を果たす。これだけホーム戦に強い選手は室屋選手の他にいないだろう。

©Joerg Mitter / Red Bull Content Pool

室屋選手の「挑戦」は、大学時代に始まっている。中央大学の在学中、18才からグライダーの練習を始め、そして渡米しパイロットライセンスを取得している。そこから最速パイロットへの挑戦が始まったのだが、2009年のエアレースデビューまでは決して順風満帆であるとは言えなかった。

いや、2009年にデビューしてからも順調ではなかったのである。なんと初優勝はその8年後、前述した2016年の千葉戦まで待たなければならない。

機体の裏側。ここからスモークが出るのだ。

実は、2011~2013年はエアレースは休止になっている。その3年間で室屋選手は「かなりトレーニングを積んだ。それが今に繋がっている」と語る。そして再開した2014年の第二戦、いきなり2位表彰台に上がっているのだ。そして2015年の日本初開催、千葉戦で新しい機体を導入する。結果8位で終わっているが、そのポテンシャルは感じていたようだ。

事実、後半戦は、2戦も表彰台にも上っている。そうした積み重ねが華開いたのが2016年の千葉戦初優勝なのだ。涙の初優勝。繰り返しで恐縮だが、私もその場に立ち会っていて、実に感動的な瞬間だった。

(後編に続く)

©Joerg Mitter / Red Bull Content Pool

千葉知充|Tomomitsu Chiba

創刊1955年の日本で一番歴史のある自動車専門誌「Motor Magazine(モーターマガジン)」の編集長。いままで乗り継いできクルマは国産、輸入車、中古車、新車を含め20台以上。趣味は日本中の競馬場、世界中のカジノ巡り。