「今を楽しめ、明日死ぬかもしれないのだから」という、一種の享楽的な、エピキュリアン的思想を体現しているように聞こえるこの言葉。
しかし本来は、「今は幸福でも明日はどうなるかわからない、懸命に生きよ」という、塞翁が馬的な警句でもあった。

人生の持ち時間は有限であることを忘れるなかれ

大人になって、やけに時間が早く過ぎると感じる人は多いだろう。学生の時は時の流れはまさしく1年単位だったが(進級のタイミングと共に時間は過ぎる)、社会人になるとそれは月単位であったり週単位へとなっていく。
ヴァニタス画では、時計は人生の残り時間を示すものとして“死”を暗喩させるものであるが、確かに我々は生まれた瞬間に寿命という名の有限の資源を与えられ、それを切り崩しながら生きている。

Memento Mori(メメント・モリ)

パンク・ロックなどで(中世の海賊の旗印と同じく)スカル=髑髏をモチーフにしたデザイン好んで使うのも、いつか死ぬんだから生きている瞬間は派手に生きてやる、という人生観がベースになっているからだ。日本でも戦国時代あたりに生まれた傾奇者(かぶきもの)のバックボーンも同じだ。古今東西を問わず、誰もが必ず終わりを迎えるはずである人生において、たとえ刹那的であろうと閃光のように煌きたいという切なる希望がさまざまなカルチャーを生んできたのである。

織田信長が好んで舞い、吟じたと言われる敦盛の一節(人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり 一度生を得て滅せぬ者のあるべきか)が意味するところも同じだ。

つまり、人生が短い、いつかは死ぬ、死にたくない、という嘆きではなく、どうせいつかは死ぬのだからむやみに惜しんでも仕方ない、精一杯やるべきことをやるだけだ、やり遂げられるかどうかは神のみぞ知る、だから俺はただやるだけだ、という、非常に肯定的な人生観なのである。

いつ死んでも後悔しないように、今を生きよう

本メディア(dino.network)は、パワーピープル、精力に溢れ現世での成功を目指す野心を抱いた上昇志向の強い人たちを対象にしたメディアだ。

そんな読者にだからこそ言いたいのは、人生には必ず終わりが来る、ということ。だから、いつかはやろう、と思うようなことがあるのであれば、今すぐ手をつけるべき、今すぐ行動に移すべきであると思うのだ。

パワーピープルであれば、みななにかしらのモットーをもって日々を生きていると思うが、人生の残り時間を考えれば、今すぐに行動すべし、という切迫感を持つべきだし、それを思い起こし、自らを鼓舞するためにも、Memento Moriという警句を胸に刻む意味があると考えるのである。

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。