ピクサーの大人気シリーズ第4弾。
幼稚園で周囲と馴染めない少女ボニーは、プラスチックスプーンなどのゴミを使って自分だけのおもちゃ“フォーキー”を作る。元の持ち主アンディからボニーの元にやってきたおもちゃたちのリーダー、カウボーイのウッディは ボニーの心の支えとなったフォーキーにおもちゃとしての自覚を備えさせようと必死になるが・・・・。

「トイ・ストーリー4」MovieNEX 予告編 (30秒)

youtu.be

カウボーイ人形のウッディをはじめ、宇宙飛行士型の人形バズなど、人気キャラクターは健在ながら、今回は ウッディ以外の従来キャラの活躍は少なめ。(ウッディは出ずっぱりだが)
ウッディたちの持ち主であるボニーが作った手作りおもちゃフォーキーの(自分がボニーの寵愛を一身に集めていることへの)自覚のなさゆえの無軌道な行動に振り回されるウッディの、切ないばかりの主人思いの言動は相変わらず胸を打つが、今回の作品はどうも様子が違う。

ウッディの忠誠心に対して、ボニーはあまりにも無関心で冷たい。これまでのシリーズは、主人である子供の歓心をほかのおもちゃに奪われそうになるウッディの嫉妬心や、それを超える仲間との熱い友情、そしてウッディたちおもちゃの思いに応える(持ち主である)子供との関係性を描き続けてきた。
しかし本作では、ウッディたちおもちゃのひたむきな気持ちは持ち主にあまり届いていない。
その結果、ウッディは持ち主である子供への忠誠心に縛られている自分に対して、初めて自己反省のような迷いを生じさせてしまうのだ。

その愛が深すぎるがゆえに、報われない自分への自己憐憫が、これまでのウッディ(と本作のテーマ)にはなかった逡巡を生み出してしまう。

トイ・ストーリーシリーズはこれまで、誰もがもっている幼少時の想い出を呼び覚まし、少年少女時代に最良の友として身近にいてくれたおもちゃたちへの郷愁を誘い続けてきてくれたが、確かにいずれ子供は大人になっていき、おもちゃを必要としなくなるから、どんなに濃い蜜月があろうとも、子供は成長するにつれおもちゃへの関心を薄めていき(言葉を選ばずに言えば、成長の過程が子供はおもちゃに飽きていく)、その結果必ず子供とおもちゃの別れは訪れる。それが宿命なのだ。
前作(トイ・ストーリー3)では、愛情たっぷりに自分たちに接してくれた持ち主(アンディ)との別れと、新たな持ち主(ボニー)との出会いを描くことでおもちゃたちの切ない宿命と、それでも垣間見えた明るい未来を描いてくれたのだが、本作ではそんな出会いと別れ、別れから新たな出会い、という一種の輪廻に身をまかし続けることへの疑問が、ウッディの心に入り込む。そんな葛藤を描くことで、本作は大人気シリーズの本当のラストとして成立していると思う。

これまで持ち主である子供のため、自分と共に子供を楽しませる仲間のためにさまざまな困難に立ち向かってきたウッディが、持ち主への無償の愛を貫くか、それとも繰り返される出会いと別れの連鎖を自ら断ち切るのか。ゴミから作った手作りおもちゃにも簡単に寵愛を奪われてしまうほどの自分への軽い扱いに耐え続ける価値とはなんなのかという恐るべき疑問に答えは出せるのか?そんな“究極の選択” “究極の疑問”に対する彼の答えとはなにか。それが本作のテーマとなっているように思う。

報われなくても貫き続けるひたむきな愛に人は感動する。逆に、誰かを深く愛することなく片想いであるならば潔く忘れていく軽さを、打算的と誹る声が多いことはわかるが、当の本人にとっては報われない片想いは辛すぎる。ウッディの迷いを我々がとやかく言うことはできないのである。

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。