長年勤めてきたテレビ局を辞め、自由な生活を求めてほぼ廃墟化したカフェを借りて住み着いた松ちゃん。テレビ局時代の腐れ縁や元妻の意味不明な行動に嫌気さす日々・・・
Mr.Bike BGで大好評連載中の東本昌平先生作『雨はこれから』第56話「仏桑華は赤い記憶」より ©東本昌平先生・モーターマガジン社 / デジタル編集 by 楠雅彦@dino.network編集部

テレビ局時代の腐れ縁をどうしても断ち切れない松ちゃん

長年勤めたテレビ局を退職して、すべてのしがらみから逃れたと思った私がバカだったかもしれない。別れた元妻からはなぜかいわれのない嫌がらせが続くし(私の名前を使って方々で借金しているようだし)、業界人気取りの阿呆の訪問を止める術もない。

この夜も、突然押しかけてきた阿呆は私の迷惑顔など全く気にもかけずに「元気にしてたか?」と入ってくる始末だ。デカくてやかましいハーレーにまたがった彼は、昔付き合いのあった芸能プロダクションの社長だ。私が局にいる頃はまだブローカーに毛の生えたような程度だったが、いまではそれなりに売れっ子を抱えて業界で知られた存在になっているらしい。だが、いまの私にはそんなことは関係ない、嫌な奴にいつでも罵声を浴びせられる自由がいまならあるのだ。

だから「もうテレビマンじゃないんだ。いつだって叩きのめせるぜ」と私は凄んでみせたが、こいつはにやけづらのまま、カウンターに腰を下ろしてしまった。本当に殴ってやろうか、と私は思ったが、行動に移る前に奴が口を開いた。

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元妻のわるさの尻拭いを押し付けられる松ちゃん

「松ちゃんのカミさんがよう」奴はとんでもなくワルい笑顔で話し始めた。
「いや、元カミさんがまずいことになってんのョ」
「俺にカンケーないだろ」と私は努めて平静な顔をして答えた。いや、実際関係などない。あの女のわけのわからない馬鹿騒ぎのせいで、この間は刑事がやってきたほどだが、私はどう考えてもただの被害者だ。

「いいのか、松ちゃん!」と奴は凄んだ。「元カミさんはウチの金を使い込んだだけじゃねェ」
他にもいろいろやらかしてんのよ、もう出るとこ出てるんだ、タダじゃ済まないんだぜ?とばかりに奴は身を乗り出す。

知らないねェと私は受け流すが、内心は少し動揺していた。別れたとはいえ、しばらく一緒に暮らした女であることは確かだ。ホンの少しも情がないとは言い切れなかったのだ。

すると、奴はそんな私の逡巡を見透かしたかのように「けどヨ!」と言い出した。「松ちゃんが協力してくれたらカミさんへの訴えは取り下げるからヨ!」

私は何かに魅入られてるのか?

「また人探しをしてほしいワケヨ!」と奴は言い出した。どうやらこいつの事務所に所属するタレントが飛んだらしい。「ウチのセルコってタレント知ってるだろ?あれと独立したいって半年前からモメててョ!そしたらレギュラーほっぽらかして姿消しちまったのヨォ!」

私は少し沈黙してから、静かに口を開いた。「俺がテレビ局を辞めた理由は知ってるだろ?」

すると、彼は間髪入れずに「まさか私が原因だと思ってんですか?」と言う。
古傷を抉りながら、なんでもないカオをするこの男に心底腹が立ったが、さすがに手は出せない。「帰れ、ホントに怒るぞ」と呟くのが精一杯だった。
しかし、私の怒気は流石に伝わったのだろう、彼は席を立ち、帰り支度を始めた。ただ、その表情には、私が絶対断らない、という確信の色が浮かんでいた・・・。

はたして松ちゃんは元妻を救うために、気が乗らない頼みを引き受けるのか?そして、松ちゃんがテレビ局を辞めることになった本当の理由とは??

楠 雅彦|Masahiko Kusunoki
湖のようにラグジュアリーなライフスタイル、風のように自由なワークスタイルに憧れるフリーランスライター。ここ数年の夢はマチュピチュで暮らすこと。