日本からユーラシア大陸を横断して、ポルトガルのロカ岬まで行く。
それも、あえてクルマで。ロシアからヨーロッパまで、大地を走るために。
そんな、いわば「冒険旅行」に挑戦した気持ちの根底には、ロシアという地を、自らの目で確かめて感じたいという情熱があったからだ。今回は、クラスノヤルスクでの貴重な体験がテーマである。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

中央ロシアの大都市、クラスノヤルスクにて

東京から富山・伏木港経由でウラジオストクに上陸してから、一カ所に留まることなくずっと移動し続けてきた。ようやく1週間ほどひとところに落ち着けることができたのは、中央シベリア最大の都市クラスノヤルスクだった。クラスノヤルスクに腰を据えるのには、いくつか理由があった。

まずは、カルディナのチェックと修理をする必要があった。抜けたリアダンパーを交換し、イルクーツク・トヨタで完治しなかったガソリン残量計を治さなければならない。

幸い、クラスノヤルスクのトヨタ・ディーラーも気持ちの良いプロフェッショナルな仕事ぶりで、カルディナは生き返った。

片手に握っているのは、ユーラシア大陸横断用カルディナのステアリングホイールそのもの。もっとも簡単で効果的な車両盗難防止システムだ。もちろん、エアバッグは取り外してある。

そして、東京からここまでロシア語通訳として同行してくれた、留学生のイーゴリ・チルコフさんと別れ、二人目の通訳であるアレクセイ・ネチャーエフさんを1週間後にクラスノヤルスク空港に迎えに行かなくてはならない。

次に大事な仕事は、サンクトペテルブルグからドイツまで乗ることにしたフェリーの確認と予約だ。

モスクワからベラルーシを経由して、ポーランドに入り、ドイツへ向かうという当初のルートを変更したためだ。スコボロディノの貨物乗り場で、中古車運び屋のイーゴリに教えてもらったフェリーの運行会社をインターネットで検索し、日程を見極めて申し込まなければならない。

解決しなければならないことがうまく運びそうだったら、少しリラックスして、デパートや市場などを覗いてみたい。ロシアではどんなものを売っているのか。面白そうなものが見付かれば買い物もしてみたい。 

ちょっと休憩して、観光。ここまでの行程を振り返り、今後の予定を確かなものにする。地理的にも、時間的にもちょうど中間地点にいるはずだから、心身&クルマともにリフレッシュするにはいい機会だ。

クラスノヤルスク市は、中央シベリアを南から北へと流れる大河「エニセイ川」のほとりに位置する。川の水は真夏でも冷たい。景色は美しいが、使用済み核燃料の保管地としての側面も持つ。

デパートをのぞいてみる。品揃えはそれなりに充実しているが、基本的に店員の愛想は良いとは言えない。品物そのものが「ある」ということだけにしか、まだ価値を見いだしていないからだろうか。

この状態で駐車してあったならば、車両そのものを盗難しようとする気は薄れるであろう。助手席フロアに、クロスレンチが転がっている。それにしてもステアリングを外すとは名案だ。

イーゴリさんの帰省とクラスノヤルスクの探検

イーゴリさんは東京の大学への留学生であると同時に、クラスノヤルスク大学の教員でもある。

彼は、3カ月前に生まれた娘のビクトリアちゃんに初めて会うことになる。初めての子供だから、1日でも早く会いたいだろうが、飛行機で帰省せずに、僕らの旅に付き合ってくれた。

「冒険みたいで面白かった」

渋谷辺りをフラフラしているような若者なんかよりもよっぽどたくさんの漢字が書けて、電話で話したら外国人だと気付かないほど完璧な日本語を喋る。まじめな学者肌のイーゴリさんが、旅を楽しんでくれたことがうれしい。

イルクーツクからクラスノヤルスクへ1100キロ余りを走ってきたその足で、僕らもイーゴリさんのお宅にお邪魔した。

街を見下ろす丘の上に建つ教員住宅で、奥さんとビクトリアちゃんと義母さんが待っている。高層アパートの8階にイーゴリさんの家がある。30〜40年前の日本の団地を巨大にした感じである。

薄暗い廊下を進み、何軒目かの扉をイーゴリがゴンゴンゴンッとノックする。部屋番号は手書きだ。

眼鏡を掛け、ベージュのスエットスーツを来た奥さんがドアを開けて、招き入れてくれる。姉さんかぶりをした義母も出てくる。イーゴリさんは律儀に僕らのことを紹介してくれるが、早く赤ん坊の顔を見に行った方がいいんじゃないのかな。

その律儀さがイーゴリさんらしいなぁと、まるで十年来の友達同士のように笑い合う。

ヴィクトリアちゃんは奥の部屋のベッドで寝ていた。赤ん坊のいる家庭らしく、ロープに吊された洗濯物がどの部屋にもたくさん干してある。奥さんが、イーゴリさんを抱きかかえるように促す。ぎこちなく赤ん坊を受け取って、照れ臭そうにするイーゴリさんと奥さんを、田丸さんがビデオや写真に収める。僕と田丸さんは玄関先で辞去するべきだったのかも知れないな。

クラスノヤルスクにあるイーゴリさん宅にて。イーゴリさんも初めて会うという、生後3ヶ月のヴィクトリアちゃん。奥さんも嬉しそうだ。

キッチンの方から漂ってくるいい匂いは、義母さんが作ってくれているペリメニだった。ペリメニは水餃子にそっくりで、ロシア流はスープにサワークリームを落として食べる。ウラジオストクでロシアに上陸して以来、僕と田丸さんの好物になっていた。山盛りのグリーンサラダと黒パンもご馳走になり、ホテルに戻った。

今晩だけ中心から離れた「ホテル・アエロフロート」に泊まる。隣の敷地は昔の飛行場跡地だ。とても古い建物で、天井が高く、部屋も広々として気持ちいい。だが、ロシアの昔のホテルは、どこかどんよりと室内の空気が澱んでいるように感じられてならない。

部屋から外線電話で契約しているプロバイダーにコンピューターをつなげてみようと試みるが、今までと同じようにモデムが反応しない。夜も遅く、明日は中心地にある「クラスノヤルスク・ホテル」に移るから深追いせず。

ロシアでは、なかなかインターネットに接続できなかった。しかもウィンドウズではなくマックユーザーなので、なおさら接続は難しかった。

クラスノヤルスク・トヨタへ付き合ってもらってから、イーゴリさんとは3日間行動を別にする。彼にも予定があり、ましてや初めて子供が生まれたばかりなのだから、付き合ってもらうのは悪いし。

僕らだけで街を探索することにした。人口90万人を数える規模だけあって、確かに大きな街だ。イーゴリさんの家から中心部までは、クルマで10分以上掛かる。イルクーツクも小さくはないところだったけど、密集度合いが違う。

イーゴリさんと初めて会った時には、予定の都合が付けばポーランドまで同行してくれるはずだった。だが、先に決まっていたその予定のために、誰か同行してくれる通訳を捜さなければならなくて、知り合えたのがアレクセイさんだった。