日本からユーラシア大陸を横断して、ポルトガルのロカ岬まで行く。
それも、あえてクルマで。ロシアからヨーロッパまで、大地を走るために。
そんな、いわば「冒険旅行」に挑戦した気持ちの根底には、ロシアという地を、自らの目で確かめて感じたいという情熱があったからだ。今回は、クラスノヤルスクでの貴重な体験がテーマである。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

実感を以て知ったまだ終わらぬ日本の戦後

その予定とは、イーゴリさんがここ数年ボランティアで手伝っている、日本からクラスノヤルクスへの墓参団の通訳だ。

「シベリア慰霊墓参団」という団体は、終戦後、捕虜としてソ連軍に抑留され、多くはこの地で亡くなった家族のために墓参りと記念植樹、地元ロシア人との交流活動を行っている。

60年近く昔のことなのに、彼らが初めてここを訪れることができたのは、ようやく1991年になってからに過ぎない。ソ連時代は、墓がどこにあるのかという情報すら出てこなかった。

第二次世界大戦終結後にソ連は約60万人にもおよぶ日本人捕虜をシベリアの地に抑留。その多くの人々が故国へ戻れなかったのである。

もちろん、それ以前からずっと墓参の交渉をソ連当局と続けていたが、許可が下りたのが1991年だった。元KGB職員から、この地が捕虜が埋葬された土地であることを示す資料を受け取り、墓参許可の交渉を始めた。その資料の発掘や交渉を手伝っているのがイーゴリさんなのだ。

それ以来、お盆のこの季節に墓参団は日本からやって来ている。今年の参加者は9名。みな、僕らよりずっと年上の方々だ。中谷孝さんは、クラスノヤルスク駅そばの収容所に抑留され、生きて日本に帰ることができた。

「昨晩、ホテルの部屋から眺めた月がきれいでした。58年前と変わりませんでした」

墓地は、僕らの泊まっている中心地のホテルからクルマで20分ほど郊外の山の中だった。敷地の中も外も雑木と雑草が生い茂り、雑然としている。ロシア人の墓は立派な墓石が供えられているものが多いが、日本人のそれは、数字が記された小さな鉄製プレートだけだ。

市の墓地管理職員の他に、妙に派手なスーツとサングラス姿の着た男たちが3人いて、聞けば、「仕切っているマフィア」だという。ロシア製大型車ボルガに乗ってやって来ている。この国では、合法違法の別を問わず、あらゆるところにマフィアが介在している。

雑草を刈り、周囲を清掃することから始めた。読経と大正琴の慰霊曲演奏、追悼の言葉、マイナス60度の寒さに耐えられるベニヤマザクラの植樹、日本酒や白米のおむすび、赤飯、梨、リンゴ、菓子など、故人の好物や故郷の産物などを供えた。

「父は1945年9月25日に、満州からここまでソ連人に連行され、収容所に入れられました。私は3歳だったので何も憶えていません。1947年に厚生省から死亡通知があっただけで、生前の父からは何の報せもありませんでした。以前は、とても悔しい想いを抱いていましたが、墓を作ることができ、父も安らかに眠っていることでしょう。今では、感謝しています」

追悼の言葉を読み上げた岡田祇子さんの父親がここに埋葬されていることが、イーゴリさんたちの手伝いによって最近になって判明した。

資料は明確なものではなく、抑留されていた全員の消息がわかっているわけではないというから痛ましい。子を持つ父親として、他人ごととは思えないと田丸さんも嗚咽を抑えきれなかった。

最後には、僕らも一緒に合掌した。その後、バスに乗って、駅や収容所跡地を巡ったが、中谷さんによれば「昔の面影はまったくない」とのことだ。

戦争の惨禍を教えられた一日だった。かつての満州や、日本とソ連が戦ったことは歴史の教科書の記述として目にしたことはあった。だが、このような形でここに来なかったら、実感を以て知ることはなかっただろう。貴重な経験をした。
(続く)

金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身のホームページに採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。

田丸 瑞穂|Mizuho Tamaru
フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。この実体験から生まれたアウトドアで役立つカメラ携帯グッズの製作販売も実施。ライターの金子氏とはTopGear誌(香港版、台湾版)の連載ページを担当撮影をし5シーズン目に入る。

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