ベイビー・ドライバー」でブレイクしたアンセル・エルゴート主演の心理サスペンス。
1人の肉体に複数の人格が宿る“解離性同一障害”を持つ青年ジョナサンをアンセルが演じている。

2つの人格を持つ事実をひた隠しにして生きる青年の話

建築事務所で設計技師として働くジョナサンは、優れた才能を持ちながらフルタイムで働くことができず、毎日早期退社をせざるを得ない日々を送っていた。周囲には母親の介護と偽っていたが、実は彼は重度な解離性同一障害を患っており、ジョンという兄弟(ジョナサンを主体とすれば、ジョンはジョナサンの“交代人格”と言えるが、ジョナサンとジョンは互いを兄弟として、その存在を認識しあっている)と1つ身体をシェアして生きていたのだった。

2人は、日中はジョナサンとして生活し、夜はジョンとして生きており(もちろん睡眠は必要だから必然的にジョンが使える時間は短い)、互いの生活時間の記憶は共有されることはない。ジョナサンが起きているときはジョンは完全に眠っている、逆にジョンが行動している時間の記憶はジョナサンにはないのである。
そこで互いの欠落した記憶を補うために、ジョナサンとジョンはビデオレターを通して近況を伝え合う。そうして、2人は幼い頃からの主治医以外には己の障害を誰にも悟られないように必死に生きていたのだった。

ところが、ある日ジョンに恋人ができたらしいことにジョナサンが気づいたことから、そんな秘匿に努める毎日に突然の綻びが見え始める。

異常者としてではなく、現時点では周囲から理解されがたい難病を患った者としての悲哀を描いた作品

多重人格(乖離性同一障害者)をテーマにした映画は多い。古くは「ジキルとハイド」もそうだし、直近で言えばシャマラン監督の「スプリット」などがあるが、大抵は1人の体に異なる人格が宿ることの不気味さや異常さをことさらに表現していることが多い。

本作では、自分の状態を知られることが周囲の人々に恐怖や不安を与えかねないとしたうえで、それを隠して生きる者の悲哀を表していることが、それまでの近しいテーマの作品と一線を画しているところと言えるだろう。多重人格を持つ者が身近にいることで不安定に陥る健常者を描いているのではなく、異常者としての多重人格者を描くのでもなく、自分の症状が他者には理解されづらいことを認識したうえで、だからこそそれを隠して生きることを選択した若者の話なのである。

もしかすると近い将来は、この病は病というよりもひとつの個性として認識され、これを特別視することは差別的な扱いであるとされる日が来るかもしれない。(LGBTQやSOGI-Sexual Orientation & Gender Identity のように)

しかしながら、この作品が制作され公開された2018年あたりにおいては、ジョナサンとジョンの境遇はなかなかに周囲の理解を受けられないものであり、カミングアウトするには相当な勇気が必要な“症状”なのである。
本作はスリラーの部類に入ると思うが、全体的に非常に淡々としていて、人死にも出ない、“大人しい”作品だ。正直にいって観ている我々(あなたがもし“交代人格”保有者なら別だ)にはあまり恐怖を感じさせることがない作りだ。
しかし、もしあなたがジョナサンに強く感情移入することができたとしたら、その孤独と不安を共有することができたなら、この映画はこれまでにない、切ないまでの恐怖を与えてくれることになるだろう。

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。