目の見えない妻が視力を取り戻すことをきっかけに、夫婦の意識の違いが浮き彫りになっていく
タイの首都バンコクに住む、金融マンのジェームズ(ジェイソン・クラーク)は、幼い頃の事故で視力を失った妻ジーナとの2人暮らし。2人の仲は睦まじく、何不自由ない生活を送っているかのようにみえた。
しかし、あるときジーナが角膜手術を受けて、視力が回復し始めた時から2人の間に溝ができていく。
ジーナは、ジェームズの容姿を含めてそれまでの自分を取り巻いていた全ての環境に違和感を覚え、不満を募らせていくし、ジェームズはジェームズで完璧に自分の庇護下にいたはずの妻が、視力が回復していくにつれ 徐々に美しくなりながら奔放に振る舞うようになっていく様子に苛立ち始めるのである。
女は自分を縛る男を疎ましく思うようになるし男は支配していたはずの女が自由を得ていくことが許せなくなる。そんな2人のすれ違いが、2人の関係を次第に破壊していく。
こんなはずじゃなかった、という想いだけが2人の共通点となったとき、2人の間の亀裂は決定的なものになっていくのである。
見えていなかったものが見えてしまうことによって、いとも簡単に崩れていく“愛”の形を描く、哀しいラブストーリーだ。
女は弱い生き物、だと勘違いしている“古いタイプの”男に衝撃的な真実を告げる作品
主人公ジェームズを演じるジェイソン・クラークは、僕にとっては「ターミネーター: 新起動/ジェニシス」(2015年公開)でジョン・コナー役を演じたことが記憶に新しい。人類の救世主であるはずのジョン・コナーを醜悪なモンスターとして描いてしまう同作に衝撃的な違和感を感じたものだが、結局この「ターミネーター」は興行的に失敗し、「ターミネーターて: ニュー・フェイト」によって“なかったこと”にされてしまう(その「ニュー・フェイト」もヒットしたとは言えず、ターミネーターシリーズにトドメを刺してしまったかのようになっているのは皮肉だが)。
そのジェイソン・クラークが、本作では 余計なことをしてしまったばかりに(もちろん盲目の妻に視力回復の機会を与えたことを余計なことと表現することは不謹慎だとは思うが)パンドラの箱を開けることになってしまった、不幸な男を演じている。
ジェイソン演じるジェームズは、愛する妻のために一生懸命尽くし、家事や妻の身の回りの世話を焼き続けてきたが、妻ジーナ(ブレイク・ライヴリー)は目が見えずに誰かの助けが必要なうちはそれに感謝するものの自分で自分のことができるようになると、その“お節介”が疎ましくなってくる。自分の世界を覆う、薄くて狭苦しい皮膜のように、邪魔に思えてならなくなるのである。
本作では、象徴的に視覚として表現されているが、こと男性優位が続く社会体制の中で、さまざまなことで女性を自分よりひ弱な存在と決めつけて、庇護下に置こうとする≒支配しようとする男は多く、マウントしていだはずの相手に思いがけずも反撃されて慌てふためく哀れな男の話だ。
(目が見えないという制限を撤廃されて、本来の美しさと奔放さを発揮していく妻の様子に、残念なことに平凡な夫はついていくことができない。いい女になっていくことを喜ぶのではなく、従順で慎み深い女という当初の設定を取り戻そうと=リセットしようとあがく姿はまさしく哀れだ)
救世主の価値をうっかり棄損してしまった男が演じる、男女の力関係を図り損ねるジェームズはかわいそうの一言だし、文字通り開かれていく世界の中で育っていく自我を満喫するジーナを生き生きと演じているブレイク・ライヴリーは美しいの一言。
特に何かの陰謀だとか謎が潜むわけではなく、あくまで男と女のボタンの掛け違いをリアルかつ冷徹に描いているのが本作だ。
目が見えるようになると、絶対的守護者であったはずの夫は平凡で常識に縛られすぎたただの中年男で、誰かの助けがなくては生きていけなかったはずのか弱い自分は 男を虜にする美貌の持ち主だった。実は2人の格差は本来逆であったと気づいてしまったら、これまでの間違いを是正しようとみんな考えてしまうよな、うん。男性社会の終焉を迎えようとする現代ならではの、うら悲しい現実を思い知る作品である。
小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。
ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。