綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずが、鎌倉を舞台にさまざまな心の葛藤を抱えながらも健気に生きる四姉妹を演じている。
原作の味わいを巧みに映画表現に落とし込んだ是永監督の手腕
本作は、冒頭に述べたように、「BANANA FISH」などのヒット作で知られる人気漫画家の吉田秋生の「海街diary」(2007年 - 2018年)を原作とした実写映画だ。
コミックを原作に持つ映画でよくあるのは、製作側が(時として身勝手な)自分なりの解釈によって作ったオリジナルのストーリーやキャラクターにこだわって、原作の趣を変えてしまうことだが、本作では 主人公である四姉妹の造形こそ多少の乖離はあるものの、基本的なメッセージやストーリー、キャラクター作りはまるで原作通りになっている(例えば 長女 香田幸や三女 チカを演じる綾瀬はるかや夏帆の見た目は、原作のそれとは少し違う。ただ、本質的な在り方は忠実すぎるくらい忠実だ)。
どちらがいい、どちらが悪い、ということはないが、本作においては、そもそも原作自体が、鎌倉を舞台とした抒情的な雰囲気や、脆さを抱えながらも強く生きる人間たちへの愛情を ほぼ完璧に表現しているので、実写化においても余計な解釈や脚色は不要、コミックを読んだ者が受け取れる味わいをそのまま映画のパッケージに収めてほしくなる。その意味で、是永監督がとったアプローチは、少なくとも本作においては完璧だった、と思える。
ちなみに、本作の妙は、その配役にもある。
まず、四姉妹となる、長女の綾瀬はるかは、佇まいの清潔感が半端なく、家長として生活を律する厳しさと、その中に溢れる愛情を感じさせて完璧な美しさを見せてくれている。
さらに、次女で、酒好き男好きの設定である佳乃を演じる長澤まさみは、そのスタイルの良さをふんだんに発揮して、まさに魅力的すぎる。
そして生まれながらの末っ子からいきなり妹を受けて(姉の立場にもなる)三女の千佳は、原作とはかなりビジュアルが異なる夏帆が配されているが、甘えキャラでありながら周囲をよく観察する隠れたしっかり者としての役割を、ちょうど良い塩梅で生き生きと演じている。すずを演じるのは役柄と同名となる広瀬すずだが(原作の印象通りで、広瀬すず以外の適役が思い描けないほどのハマり役と思うのだが)、夏帆演じる千佳とのやりとりは実に素晴らしく、本物の姉妹であるかのような自然さを感じられる。
そのほか、彼女たちを取り巻く周囲の人々も、樹木希林や風吹ジュン、リリー・フランキーなど、癖のある芸達者が脇を固めている。
父親の訃報をきっかけに交錯した四姉妹の人生のレール
本作のあらすじはこうだ。
鎌倉に住む香田幸、佳乃、千佳の三姉妹は、幼くして離婚した両親と離れ、3人だけで暮らしている。不義の恋に走った父親は失踪し、さらに母親も再婚して札幌に暮らしていた。
幸は看護師として、佳乃は地元の信用金庫で、千佳はスポーツ用品店で働いていたが、あるとき生き別れになっていたはずの父親が病死したという連絡を受け、葬儀に参列するために山形県の田舎町に向かう。彼女たちの父親は、家を出る原因になった女性とは死別し、3度目の結婚をしたばかりだった。
葬儀に向かった姉妹たちを迎えたのは、父が遺したすずという名の中学1年生の少女。幸たちにとっては腹違いの妹だった。
父親とともに山形に来たものの、その父親があっけなく他界してしまった哀しみと、父の再婚相手の女性(つまり義理の母親)とその連れ子(の男の子)と暮らしていかなくてはならない不安を抱えているはずだったが、そんな心中の葛藤を表には出さず、気丈に振る舞うすずに、幸たちは自分たちの過去を重ね合わせたのだろうか、強いシンパシーを感じる。
そして、葬儀を終えて帰りの列車に乗り込む寸前に、幸はすずに「鎌倉に来て、一緒に暮らさない?」と持ちかける。急な申し出に唖然とするすずだったが、彼女もまた 幸たちと同じなんらかの絆を感じていたのだろう、躊躇いは一瞬で消え、「行きます!」と叫ぶのだ。
そして、舞台は鎌倉へと移り、すずを迎えた“四姉妹”の新しい暮らしが始まるのだった。
いきなり全力で親愛を与えられる人たちの奇跡
本作は(映画作品でも原作のコミックでも)唐突に家族になった四人の姉妹の奇跡的な心の交流を描いた傑作だ。
幸たち三姉妹からすれば、すずは腹違いの妹とはいえ、自分たちから父親を奪い、家庭を壊した張本人である女性の娘だ。つまり、仇であるように感じても不思議ではないのだが、すずに鎌倉に来るよう申し出をした幸にしても、それをなんの疑義も挟まずに受け入れた佳乃と千佳にしても、すずに対してネガティブな思いを一切持ち合わせない。徹頭徹尾、すずを妹として、新たな家族として、100%好意的に受け入れるのである。頭で考え、理屈でもって 腹違いの妹を暖かく迎えてあげなきゃと“大人の振る舞い”をするのではなく、本当に なんの躊躇いも苦い思いもなく、すずを妹として認識する様は、奇跡としか言いようがないだろう。
本作(少なくともこの映画作品)は、異なる環境で育ってきた姉妹たちが、完全に融け合い、真の姉妹になっていく様を描こうとしていると思うが、少なくとも幸たち三姉妹からみれば、すずは出会った瞬間から妹であり、なんの違和感もないのだ。
逆に、受け入れられる側のすずは、幸たちが自分に向けてくれる底無しの好意や 血のつながりがあることを十二分に意識させてくれる温かさを感じながらも、やはり自分が加害者側にいることを思わざるを得ない。
もちろん、自分に向けられる幸たちの温かい視線に、幾ばくかの憎悪も込められることがないことは分かっているが、だからといって、自分の中にある罪悪感が払拭されるわけでもないのである。
原作では、姉妹一人一人の心のさざなみや、彼女たちを取り巻く人々のさまざまな葛藤を優しく描いたエピソードがいくつも続くが、本作では基本的に 三姉妹に受け入れられる幸福を得たはずのすずが、心からその幸せを感謝し、満喫できるまでの時間を描くことに集中している。すずが香田家に融解し、真の四姉妹になるまでを淡々と描いているのである。
すずは、望むと望まないとに関わらず、早くから“大人”として生きる=子供でいられる時間を奪われてしまう不幸に耐えることを強いられてきた。幸たちは、すずにとっては、血のつながった姉たちであると同時に、自分を初めて“子供”として扱ってくれる相手だった。
子供扱い、とは違う。一個の人格としての尊重をしてくれるが、同時に子供に背伸びをさせて大人のように振る舞わせる不自然さを強要しない。子供を子供でいさせてくれる優しさと分別がある。幸たちにしてももちろん完璧な人間ではないが、大人が大人の役割を果たし、子供に子供でいさせてあげなければと努めてくれるのだ。
そんな幸たちの温かさに気づいているが、さりとてその温かさに即座に甘えることもできない、そんなすずの健気なまでの頑なさが、徐々にとろけていく様が、優しく見守るように時間をかけて表現されている。本作はそんな作品なのである。
原作でも登場するアライさんとは
ちなみに、原作では、幸の同僚の看護師として、アライさんと呼ばれる女性が登場する。登場するとはいっても姿形が描かれることはなく、キャラクターたちのセリフに上るのみで、実際に作中にその姿を表すことがない。
サザエさんよろしく非常におっちょこちょいで、基本的に仕事ができないように示されるが、同時に患者さんに対する慈しみ溢れる接し方をしているらしく、どうやらとても心の温かな人物のようである。
本作においてもこのアライさんは、役者をあてがわれることなく、あくまでも“噂の人物”として登場している。
本作の原作者である吉田秋生先生は、「海街Diary」のスピンオフ的作品「詩歌川百景」(浅野すずの父親と山形にやってきた、2度目の妻の連れ子 和樹を主人公にした物語)をスタートさせているが、ここまで引っ張ったアライさんを主人公にしたスピンオフも、ぜひ上梓してもらいたいと思わないではいられない。
小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。
ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。