問題なのは、死刑囚も、弁護士も黒人であったということだった。
人種差別が今より遥かにあからさまだった頃のアメリカにあって、命の危険を顧みず法の正義を信じた若者の闘いを描いた作品。
冤罪で死刑判決を受けるとなる黒人受刑者をジェイミー・フォックス、彼の弁護を試みる若手弁護士をマイケル・B・ジョーダンが演じている。
1980年代のアラバマ州で起きた、黒人差別を遠因とする冤罪事件
黒人のスーパーヒーロー映画「ブラックパンサー」でのヴィラン キルモンガー役や、ロッキーシリーズのスピンオフ「クリード チャンプを継ぐ男」のクリード役などで、肉体派俳優として知られるマイケル・B・ジョーダンだが、今回はその見事な肉体をスーツに包んで封印、ハーバードを卒業したばかりの若手弁護士ブライアンを熱演している。
1980年代のアラバマで死刑判決を受けた黒人男性の冤罪を晴らそうと奮闘するブライアンは、根深く蔓延する黒人への差別意識に直面するが、全ての白人が差別的なわけではないし、法の正義は存在するはずだという信念に基づき、ヤケになることなく現実に立ち向かう。
実在の黒人弁護士ブライアン・スティーブンソンが記したノンフィクション『黒い司法 死刑大国アメリカの冤罪』を原作とする、実話ベースの一本だ。
法の下の正義をあくまで信じる主人公
本作の主人公であるブライアンは、高い学歴を持つ知性的な人物であり、恐らくは大学生活の中で、それほど酷い差別を受けたことがなかったかもしれない。(ハーバード大の学生や教授たちの中に差別意識を持つ者がまったくいない、ということはないと思う。ただ、高い知性と教養を持つ層は、仮に差別的な感覚を持っていたとしてもそれを隠し、リベラルに振る舞うことができるのだろうと思う)
しかし、都心の法律事務所や企業相手の民事専門の弁護士ではなく、敢えて社会弱者を救うために地方での冤罪案件を扱う、刑事事件専門の弁護士の道を選んだことで、彼は あからさまに黒人を嫌う“差別的な白人たち”の存在に向き合うことになる。
彼らは黒人への嫌悪感を露わにし、隠そうともしない。例え裕福であろうが教養があろうが関係ない、ただ肌の色が黒いというだけで、自分たちより遥かに劣る、人間以下≒家畜並みの扱いを受けて当然だという意識が、魂に染み込まされているのである。
ブライアンからすれば、担当した事件の死刑判決は明らかに不当であり、法的根拠のない言いがかりであったが、アラバマ州における司法には そんな理屈が通用しない。黒人は悪事を働く、黒人は正当な裁判を受ける権利さえない、そんな強い思い込み あるいは刷り込みの前には、法的な論理や憲法で定められた権利などはなんの意味も持たないのだ。
結局、どんなに理屈を積み重ね、証拠を積み上げても この根源的な差別意識を打破できないと知ったブライアンは、より都会、もしくは国の中央に近づく(つまりより高次の法廷→地方裁判所ではなく連邦裁判所などに持ち込む)ほかないと考える。
仮に米国大統領が人種差別意識を持つ人物だとしても、立場上(あるいは 受けてきた正当な教育の結果)憲法で定められた国民の主権を疎かにするようなことはできない、法の下に正しく判断するはずだと考えたのである。
法の下の正義は存在する。アラバマ州の法廷になくても、国家としての米国にはそれがあるはずだ。そんな信念がブライアンを自暴自棄にせず、あくまで合法な手段にこだわる、弁護士としてあるべき姿を保持させたのである。
女性判事の登場に、なぜか少しホッとする
結論を言うと、ブライアンらは連邦裁判所での裁定を受けることに成功する。
それまでの裁判では、裁判官は常に初老の白人男性であったが、連邦裁判所の法廷では、中年の女性判事が現われる。
本筋とはあまり関係がないかもしれないし、実際この女性判事がブライアンらにシンパシーを感じているように特に描かれているわけではないのだが、偏見に囚われず、ちゃんと法的根拠に基づいて判断してくれそうに思って、ちょっとホッとする。多くの場合、差別を差別として隠さず 古い常識を引きずり続けるのは、主に“おじさん”という固定観念(それもまた、ある種の逆差別と言えるだろうことは否定はしない)を僕が持っているせいかもしれない。
本作が一般的な“黒人差別”を題材にした作品と少し異なるのは、黒人側が白人を差別していない、という点だろう。上に書いたように、作用反作用の法則ではないが、差別された者は差別する層に対して 逆差別というべき偏見を抱きがちだ。ブライアンは、多くの黒人が 黒人であるというだけでいわれない差別を受ける現実を見せつけられるが、だからといって白人層を敵視したりはしない。あくまで間違っているのはその差別意識と振る舞いであって、法の下では白人も黒人もなく、平等であるべきだという信念が彼を支えている。
このところ、人種や性差への差別の存在をクローズアップする事件の勃発や、映像作品の発表が目立つ気がするが、これらの問題を解決するには やはり法律の整備と解釈の徹底しかないと僕は思う。そして、そのことを常識として、できるだけ多くの人たちに知らしめる、つまり正しい教育制度を作り実行することが最も重要なことだと思うのである。
小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。
ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。