日本からフェリーでロシアへ渡り、そこからヨーロッパ最西端のロカ岬までを中古車のトヨタカルディナで走り切った金子氏と田丸氏。2003年の夏に敢行されたその冒険旅行で最大の難関は、ロシア横断にあった。様々な体験を重ねつつ、1カ月をかけてロシア西部のサンクトペテルブルクへ到着。今回は、ヨーロッパを目前にしたロシア最終日の様子をお届けする。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

最後に触れた手厚い親切 ナターシャに心が和む

乗船する埠頭は、生い茂った雑草の中を行く引き込み線の線路脇を進んでいった先の岸壁にあった。乗船するフェリー「トランスフィンランディア号」が、ここに到着し、カルディナとともに乗り込んで、3泊4日後にドイツのリューベック港に上陸する予定だ。

クラスノヤルスクのホテルから電話で予約したトランスフィンランディア号の予約再確認は、オフィスで一昨日に済ませてある。そこで渡された乗船予約票を、運行する船会社「バルティックトランスポートシステムズ」の詰め所に示すのが最初の手続きとなる。

詰め所は、引き込み線脇の道路沿いにあり、コンテナを改造した粗末なものだ。他の船会社のコンテナも、同じようにいくつも並んでいる。

殺風景な埠頭の中に置かれていた、負けず劣らず殺風景なコンテナ事務所。ここが、乗船するトランスフィンランディア号を運行する会社の詰め所であった。そして笑顔のナターシャがそこにいた。

訪ねるように指定されたマカロフ・ボリスというスタッフは詰め所にいなかったが、別の人間が予約票を確認して、どこかに電話をした。埠頭内に入れという。一方的にロシア語でまくし立てられ、もうアレクセイさんはいないので、こちらは身振り手振りで応対するしかない。

埠頭の入り口には係官が立っていて、入るクルマはすべてチェックされている。こちらも、乗船予約票やパスポートなどを見せる。

埠頭の中では、到着した船から降ろされた荷を積んだ数え切れないほどの大型トラックとトレーラーが行き交い、クレーン車などが走り回っている。フェリー乗り場といっても、ここの主役は乗客ではなく積荷とそれを運ぶトラックやトレーラーだ。

「バルティックラインズ! トランスフィンランディア!」

僕ら、このふたつの名前を係官に連呼するだけだ。係官の身振り手振りも大きくなる。奥へ進んでいくと、岸壁近くに船会社と税関の建物が何軒も建っていた。どちらもプレハブ作りの簡素なものだ。BTというバルティックラインズのシンボルマークを探して、辿り着く。

ガラス越しのカウンターで必要書類を全て提示する。歳の頃なら23〜24歳といったところの長い金髪をなびかせた女性が受け取ってくれる。殺風景なオフィスとは対照的に、彼女は愛嬌たっぷりで笑顔を絶やさない。営業的なスマイルというよりは、彼女の人柄なのだろうが、客に対してこんなに朗らかなロシア人と会ったのは、ロシア最後の日にして初めてのことだった。名前を訊ねると、ナターシャという。

ナターシャは書類を作成する間、僕らをオフィス内に招き入れてくれて、コーヒーとケーキを振る舞ってくれた。こんな親切を受けたのも、ロシアでは初めてのことだった。

書類が揃い、僕らがコーヒーを飲み干したのを確認すると、ナターシャは促した。

「レッツ、ゴウ」

たどだとしい英語で、僕らを別の建物にある税関に連れて行く。出国許可書をもらい、再びオフィスに戻る。スキップするように階段を駆け上がっていくナターシャに、僕らも小走りで付いていく。

すべての手続きが完了し、オフィスで書類を僕らに手渡すと、彼女はグッバァーイと手を振って、また階段を駆け下りていった。

カルディナをトランスフィンランディア号に近い岸壁に停め直し、午後7時からの乗船を待つ。周りには、他の船から下りてきたトラックやトレーラーが並び、通関を待っている。形式的には出国したことになるので、もうサンクトペテルブルグの街に戻ることはできない。ちょうど30日間旅してきたロシアとも、今日でおさらばだ。8月の末だというのに、バルト海の水面を伝わってくる風が、とても冷たい。
(続く)

フェリーは、ヘルシンキ(フィンランド)、カリニングラード(ロシア)、サスニッツ(ドイツ)を経てリューベックへと向かう行程だ。

金子 浩久 | Hirohisa Kaneko

自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身のホームページに採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。

田丸 瑞穂|Mizuho Tamaru

フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。この実体験から生まれたアウトドアで役立つカメラ携帯グッズの製作販売も実施。ライターの金子氏とはTopGear誌(香港版、台湾版)の連載ページを担当撮影をし6シーズン目に入る。

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