読んだことがあるかどうかは知らず、日本でも知名度が高い青春小説「ライ麦畑でつかまえて(CATCHER IN THE RYE)」の作者J.D. サリンジャーの半生を描いた作品。
悪く言えば偏屈、よく言えば信念に忠実で頑ななサリンジャー役に、X-MENのビースト役などでも知られるニコラス・ホルト。
タイトルの『ライ麦畑の反逆児(RABEL INTHE RYE』は、彼の小説のタイトルをもじったものだし、世間から見れば彼の頑なさは融通の利かない世間への反逆としか見えなかったという証左でもある。

映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』予告編

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静けさを求めて他人との交流を嫌気する天才たちの孤独

主人公サリンジャー(ニコラス・ホルト)は大学で講師を務める敏腕編集者ウィット・バーネット(ケヴィン・スペイシー)の薫陶を受け、作家としてデビューする。
その後、第二次世界大戦の欧州戦線に従軍した経験がトラウマになってしばらく断筆状態になってしまうが、やがて自分の少年〜青年期の経験を色濃く投影した少年ホールデン・コーンフィールドを主人公とした長編青春小説『ライ麦畑でつかまえて』を出版。一躍時代の寵児となるが、急激に湧き上がる世間の評判や自分への関心に恐怖を覚えた彼は、自身を一般社会から隔離し、孤独な生活に埋没するようになる。

若くして成功し、社交性を失っていく天才は珍しくない。米国で言えばレオナルド・ディカプリオ主演で映画(『アビエイター』)にもなった大富豪ハワード・ヒューズなどがその代表だろう。
自分の理想を曲げようとする大人の論理や社会常識を一切受け入れず、頑なに自分の信念を押し通そうとする彼らの姿は、天才ゆえの傲慢さもしくは横柄な反逆児として、ある意味変わり者扱いされる。やがて彼らは無意味に続く、常識人たちとの“戦い”に疲れ、もしくは飽きて、ひとり孤独な環境へと身を置くようになる。

ほどほどの秀才ならば、大きな成果を上げたことにより、世間が掌を返すように自分にすり寄ってきたとしたら、快哉をもってそれを迎えるであろうが、サリンジャーほど感受性が豊かな天才になると、そうした人間のいい加減さや無意識の嘘つきぶりが許せなくなるのだろう、そうした凡人たちととにかく距離を置きたくなってしまう。
本作はそういう類の天才の姿を描くとともに、彼らに偏屈者というレッテルを貼ることで安心を得る我々凡人の姿を描いた物語である。

巨大な才能を崇めてしまう、ほどほどの才を持つ男の悲しさを、ケヴィン・スペイシーが好演

繊細な天才作家サリンジャーを演じたホルトの演技は素晴らしいが、本作においてはサリンジャーの才能を見出した編集者ウィットを演じたケヴィン・スペイシーの卓抜した演技力に目を見張る思いがした。

ウィットは作家として生きていく者の特異な資質を判じ、その才能の有無を見極める能力を持っている。それがゆえにサリンジャーの天才を早くから評価し、彼にホールデンを主役とした長編小説を手がけさせるきっかけを与えるのだが、あることをきっかけにサリンジャーから関係断絶されてしまうのだ。

サリンジャーがモーツァルトととしたら、ウィットはサリエリだ(もちろん映画「アマデウス」の見方に基づく比喩だ)。
サリンジャーの天才を見出し信じるだけの力はあるが、サリンジャーが自分の創作物に手を加えようとする凡人の申し出を拒絶する潔癖さを発揮するのに対し、ウィットはビジネスパーソン的に成果を得ることを優先して簡単に妥協してしまう。その変節ぶりがサリンジャーには我慢ならなくて、自分を世に出すきっかけを与えてくれたウィットとの関係をサリンジャーは自ら断ち切るのである。

サリンジャーが自分に向けた怒りや失望の正体がなんであるかを理解できるほどの能力をウィットは持っている。サリエリと違ってサリンジャーの才能に嫉妬はしないが、理不尽なまでのサリンジャーの怒りをそのまま受け入れてしまう哀しさがウィットにはある。

その悲哀ぶりを、ケヴィン・スペイシーは実に見事に演じている。彼の評判を地に落としたさまざまなスキャンダルをすっかり忘れさせることができそうなほどの名演技は、ほんとうに素晴らしい。

ホルトの繊細な演技も良いが、ケヴィン・スペイシーの素晴らしさを確かめるだけでも、本作を見る価値はある。そう言い切って良いだろう。

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。