長年勤めてきたテレビ局を辞め、自由な生活を求めてほぼ廃墟化したカフェを借りて住み着いた松ちゃん。漫画家を目指すもうまくいかない日々が続いていたが??
Mr.Bike BGで大好評連載中の東本昌平先生作『雨はこれから』第68話「希望は翻り者」より
©東本昌平先生・モーターマガジン社 / デジタル編集 by 楠雅彦@dino.network編集部『雨はこれから』
与えられたチャンスにしがみつくのが悪いか?
降って湧いたかのように漫画家としての仕事をもらえた私は、執筆に集中できる場所を求めて、深夜のファミレスにいた。
長時間大したものも頼まず居座る私は、店の者からしたら相当に迷惑だったことだろう。しかし、〆切に間に合わせようと必死になっている私には、そんなことをかまっている暇はなかった。
「お客さんマンガ家なの⁉︎もしかして有名な先生なの?」店長に“様子を見てこい”と背中を押されたに違いないウェイトレスが私に声をかけてきた。
いや、新人!と答えながらも私は筆を止めることができなかった。まあ、この歳でマンガを描いていたら、それなりのベテランに思うだろう。もっとも有名な漫画家がひとり深夜のファミレスで作品を作っているわけはないが。
出来上がった原稿を届ける松ちゃん
どうにかこうにか原稿を仕上げた私は、バイクに乗って出版社に向かった。約束の〆切は今夜だ。
もちろん出版社のビルは入口は既に閉められていたので、私は警備員のいる裏口に回った。編集部の社員たちはまだ残業の最中だろうが、正規の就業時間はとうに過ぎ去っている時間だった。
「できたの?」
守衛に用件を告げ、行き先や訪問理由などを説明していると、私は後ろから声をかけられた。振り向くと私の担当の女編集者が立っていた。
「思ったより早かった」と彼女は言った。と、いうことは、私に告げられた〆切にはそれなりにバッファがあった、ということだ。
もっとも、それを知っていたところで、ど新人の私には、伝えられた〆切を必死に守ることしかできることはなかったのだが。
思い切って飛び込んだ新しい世界が拓けてきた??
ギリギリに持ち込んだ私の原稿をサッと眺めると、彼女は「これでいいわ」とOKサインを出してくれた。示された〆切を必死で守った姿勢を評価してくれた、ということかもしれない。
しかも、「あんな山奥にいないで出てきなさいョ!」と言いながら、彼女は私に次の仕事をくれたのだ。
初めてのOKをもらえたこと、つまり私の作品が実際に出版される雑誌に掲載されることになったという事実は、私の頭を軽く痺れさせていたのだろう。
しかも次の仕事をもらえたということは、漫画で生計を立てていける道が開きかけているということだ。年甲斐もない興奮は、私をひどく鈍重にしていた。私は挨拶もそこそこに出版社を後にしたのだった。
今の暮らしを続ける?新しい暮らしを探す?どうする?どうするの、俺?
身も心も軽くなった私は、久しぶりに自分の住処への方向にバイクを走らせた。しかし、(街に)出てきなさいョ!という女編集者の言葉は耳に残っていた。テレビ局を辞めた時以来の、身辺整理というか生活を変える大きな転機がきているのかもしれない、私はそう思いながらSRを走らせた。
楠 雅彦|Masahiko Kusunoki
車と女性と映画が好きなフリーランサー。
Machu Picchu(マチュピチュ)に行くのが最近の夢。