大雨で土石流発生。ホンダ・カブを駆る男は必死に未曾有の危機に立ち向かっていた。
オートバイ2021年8月号(第87巻 第12号)「The Dapper Spell」(東本昌平先生作)より
©東本昌平先生・モーターマガジン社 / デジタル編集:楠雅彦@dino.network編集部

相棒はカブ。世界の道を駆けてきた頼もしい相棒さ

オレはカメラマン。正確にはフォトグラファーって言うべきなんだろうけどさ。

バイクと美人の撮影を終えたオレは、愛車のカブに機材を乗っけて、次の仕事場に向かった。3時の約束にゃあ、余裕で間に合う、オレはそう思っていた。
そのあとは7時に松見体育館。雲行きが怪しいなとは思ったが、それでも余裕、オレの 相棒への信頼は揺るがなかった。

突然の雨に耐えきれなくなった土砂が流れ落ちてきた!

ところが、そうは問屋が卸さない。いい調子で走っていたオレの真後ろに、ドォオオっと轟音を立てて土砂が崩れ落ちてきたんだ。

ウソ!

と、オレは思わず声を上げた。土砂崩れ、いや、土石流だ。流れ落ちてきた土砂は、ガードレールを軽々超えて、そのまま道路下の家屋を飲み込んでいったのだ。

土石流に流された家屋に残された住人を救う

すんでのところで命拾いしたオレは、しばらく呆然としていたが、流れ落ちていった家屋の先に、オレと同じように雨具を着込んだ男が、倒れたカブの横で何か叫んでいるのに気がついた。

家屋に人がいるらしい!
道路下のカブの男は、家屋から逃げ遅れた住人を救おうとしているらしかった。
オレは無我夢中でカブから降りると、その男の手助けに向かった。

「婆さん‼︎」「おーい!」

オレたちは二次災害の恐怖も忘れ、とにかく土砂に巻き込まれかけていた住人を助けに向かったのだ。

逃げ延びてみせる。オレとあいつと、オレたちのカブで。

逃げ遅れていた住人は年老いた女性だった。オレは彼女をカブに乗せ、オレたちは安全なところまで避難しようと走り出した。

途中で幾度か土砂に道は塞がれていたが、オレたちは慎重に、そして懸命にカブを走らせた。生き残る。逃げ通してみせる。オレたちが考えることはそれだけだった。

相棒への信頼は揺るがない。さすがのカブも、土石流の合間を走ることは想定していなかったろう、だけど世界中の悪路を駆け抜けてきた相棒のタフさをオレは信頼していたのだ。
次の仕事のこと?そいつはすっかり忘れていた。ただ、必死に逃げる。無事に婆さんを救い出し、オレたちも生き延びる。大事なことはそれだけ。それだけだったんだ。

楠 雅彦|Masahiko Kusunoki
湖のようにラグジュアリーなライフスタイル、風のように自由なワークスタイルに憧れるフリーランスライター。ここ数年の夢はマチュピチュで暮らすこと。