2005年4月10日。南フランスでの仕事を終えた金子氏は、一人でロンドンへと向かった。その目的は、1年半ぶりの再会にある。東京を出発してユーラシア大陸を横断、ロンドンまでともに走り抜いたカルディナが、まだそこにあったからだ。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂(道中ショット)、永元秀和(藤原氏と同氏のオフィスショット)
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

目の前が明るくなった 英国在住の友人の一言

持つべきものは友達である、とはよく言ったものだ。僕は、東京からロシア経由でロカ岬まで走っていく旅を計画していることを友人に初めて打ち明けた。

「それは、スゴい! よくわかりました。もし、無事にロンドンまで辿り着いたら、ウチに好きなだけ泊まって下さいよ。クルマは、僕がイギリスのナンバー取りますよ。いつでも乗れますよ」

この言葉に、どれだけ勇気付けられたことだろう。

オフィスと何台もの車両が駐車できるヤードを備えた「B-REV」。イギリスで自動車販売業を営む藤原功三氏は、学生時代に渡英してそのまま現地に居を構えることにしたという方である。

ロンドン在住の藤原功三さんは、彼の地で「BREV」という自動車販売業を営んでいる。僕らは、彼のプロの知識と友情に助けられたわけである。

功三さんからは、カルディナを日本に送り返すことの他に、イギリスで中古車として売るなり、分解して部品として販売するという処分方法もあることを教えられた。

「ロンドンに着いてからの、クルマの再登録のことは僕に任せてくれて構わないから、とにかくカネコさんは安全にヨーロッパまで辿り着くことだけ考えて旅してきて。途中、ロシアやヨーロッパで何かあったら、いつでも電話して下さい」

実を言うと、功三さんとは、以前に取材の手伝いをお願いしたことがたった一度あるだけという間柄だった。その翌々年、「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」で偶然再会し、図々しくも電話してみようという気になったのだ。

この時の国際電話で、目の前が一気に明るくなった。旅の目的地に近いところに、友人がいてくれるというのは、心強いものだ。

その後、中古車情報誌に掲載されていた7AFE型エンジン搭載のカルディナを横浜まで買いに行き、僕らの態勢は整った。

無事にロンドンに到着し、カルディナを功三さんのオフィスに預け、僕は飛行機で帰国した。

日本に帰り、外して持って帰ってきたカルディナのナンバープレートを練馬陸運事務所に返却し、抹消登録手続きを行った。その証明書を功三さんに送り、彼はそれを以てカルディナをロンドンで登録するはずだった。しかし、そうはいかずに、カルディナは功三さんのオフィスの敷地から一歩も出ることはないというメールをもらった。このままでは、登録ができないないのだという。

メールでは埒が明かないので、ロンドンに寄って直接確かめてみることにしたのだ。ヒースロー空港のハーツレンタカーで借りたフィアット・スティーロで、功三さんの家に向かう。モータウェイのM25を北上し、19番出口で降りて、ロンドン方面へ進む。少し迷ったが、見覚えのあるラウンドアバウトを回って、功三さんのオフィスに着いた。