年間100本以上の映画を鑑賞する筆者が独自視点で今からでも・今だからこそ観るべき または観なくてもいい?映画作品を紹介。
「イカゲーム」を抜いて、Netflix世界No.1の座に着いた話題のドラマシリーズ『地獄が呼んでいる』。本作は、死の日時を予告する“天使”と、その時刻に現れては無慈悲に命を奪う3人の魔物と、その現象を利して急成長を遂げた新興宗教団体による恐怖を描き、K-コンテンツの完成度と人気の高さを証明した。

容赦ない暴力と、それを利用して私腹を肥やす者たちの悪意

本作は、死の宣告を行う魔物と、予告された日時になると姿を現し、非宣告者をなぶりものにした挙句に焼き殺す 三体の怪物という、説明のつかない非科学的な存在と、魔物を天使と呼び、怪物たちの所業を神からのメッセージと説明して勢力を伸ばす新興宗教団体の台頭という、二つの流れを軸としたストーリー構成だ。

前者は科学や常識では説明のつかない、理不尽な暴力なのだが、後者は これを罪人は地獄に送られる、それが嫌なら清く正しく生きよというメッセージ(作中では、正義感を持て、というメッセージ)なのだと主張することで信者を増やす新興宗教の、浅ましくも腹黒い恣意的な暴力だ。

社会全体が、(前者の)魔物による地獄送りの制裁(試演、と称される)に怯え、この制裁から逃れるために、罪人にならないように生きようとし、その結果 宗教にすがるようになる、という具合だ。この宗教団体には、“矢じり”と呼ばれる、過激なサポーターがついており、団体の教えに背くもしくは反対意見を唱える者には暴力的な制裁を加える(時には殺人をも辞さない)ので、表立って彼らに意義を唱えることも許されなくなっていく。試演の対象になれば、その者が死ぬことは間違いないが、さらに残された家族は罪人の縁者というレッテルを貼られてしまう。すると今度は“矢じり”による暴力や、社会的に爪弾きにされてしまいかねないリスクを負うことになるのだ。まさにこれは、現代の魔女狩りである。

つまり、逃れようのない突発的かつ魔的な暴力への恐怖はともかく、それに対する不安を利用して、自らの権力を強めていこうとする人間たちの悪意によって、さらに蝕まれていく社会の崩壊が、本作における本当のテーマなのだ。

悪業への必罰による世界正義の実現は可能か?

恐怖を武器に社会を縛り、悪人を裁くというアイデアは、「デスノート」にも近いものがある。
実際、「デスノート」においても本作においても、犯罪自体の数は減ったことになっている。悪いことをしたら地獄に落とされる、というメッセージは、非常に一般的な宗教的メッセージだし、罪を犯したら捕まえて罰を与えるという法律による縛りも普遍的な抑止力だ。しかし、死んだら地獄行きと言われてもいつ死ぬか示されてなければ 生きている間は愉しめばいいという刹那的な欲望を止められないし、捕まらなければいいと思えば法の縛りからも楽々放たれる者も出てくる。それが、人智を超えた方法で罰が下され、逃げようがない、ということになれば 犯罪は見合わないと考えて控えようとするのも理解できる。

つまり、絶対的な恐怖が存在すれば、社会正義の実現は成立しやすいというのは、非常にわかりやすいメッセージとなるのである。

ただし、この罰を与える者が 常に正しい倫理や正義、もしくはそれらを規定する原理原則を持っているかどうか?という問いを簡単に放棄すべきではない。
本作であれば、試演を行う魔物の意思は本当に神のメッセージなのか?この解釈を行う宗教団体の言質は常に正しいのか?という問いになるし、それは独裁者もしくは自警団たちへの信頼もしくは不信と同義である。法律であれば完璧でなければ修正したり廃案する術があるかどうかが大切だ。

結局、盲信ほど恐ろしいものはないし、常に自問自答を繰り返しながら、物事に改善を施そうと考える意志がなければ、我々は簡単に奴隷化してしまう。本作は奴隷化していく社会に対して疑念を掲げる勇気を持とうというメッセージを孕むものであり、神の言うことだから無抵抗に受け入れよという高圧的な態度に対するアンチテーゼなのだ。

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。