年間100本以上の映画を鑑賞する筆者が独自視点で今からでも・今だからこそ観るべき または観なくてもいい?映画作品を紹介。
今回はマーティン・シーンの息子でチャーリー・シーンの兄 エミリオ・エステベス(容貌はむしろマイケル・ダグラスに似ているように思うw)主演のヒューマンドラマ『パブリック 図書館の奇跡』。極寒の冬に凍死を恐れて公共図書館を占拠したホームレス達と、彼らを追い出すことを躊躇う図書館員を描く。

【ストーリー】凍死を恐れて図書館に集うホームレスたちと、彼らを無下に追い出せない図書館員

終業間際の公立図書館。日々繰り返すクローズの作業に追われる図書館員スチュアートは、ある黒人ホームレスから、「寒すぎる路上に出たくないから、図書館に居座る、占拠する」と伝えられる。愕然とするスチュアートの目に映ったのは、数十人のホームレスの姿。

寒さをしのぐ公営シェルターのキャパが足りず、凍死者が続出する厳寒の街に向けて容赦なく追い出すことはスチュアートにできなかったが、事態を重く見た市政側は警官隊を動員して、強制排除を検討し始める。

図らずも占拠の首謀者扱いを受けるようになったスチュアートだが、規則と人情に挟まれた彼のとった行動とは?

ルールはルールとして厳格に振る舞うべき?人道に配慮して柔軟に対応するべき?

本作は、規則は規則として、図書館に居座ろうとするホームレスたちを追い出すべきという“正当な”考え方と、そんな可哀想なことはできないと考える“人情的な”考え方とが真っ向からぶつかる問題作だ。

ルールはルール、という考え方も決して悪くない。ルールもしくは規則をその都度臨機応変に破る前例を作ったら、その後のルールの運用は難しくなる。良さげな理由をこじつければルールを破ることの正当性を簡単に得られるし、ならばルールを決めている意味がなくなるからだ。

ルールまたは規則は、守られるからこそ意味があるわけで、厳格に施行されるべきである。(そのルールが問題を起こすのであれば、都度ルールを破ることを認めるのではなく、ルール自体を改正すべきだ)

そして、同時に、ルールを守ることによって人命が失われる、もしくはそのくらい重大な事態の発生が想定されるとき、ルールを破ることは緊急事態への正当な対応と言えるのではないか?

所詮ルールや規則を作り制定したのは人間であり、不完全な我々が完璧なものを作ることができるわけがないのではないか?ならば、それを破ることを認めるケースはレアではなく、けっこうな頻度で起きるのではないか?そんな疑念や不信は予め内包していていいんじゃないか、いまがそのときなのではないか?と考えても不思議ではない。

公共物とはそうやって結果として市民の役に立つよう運営されるべきなのではないか?という問いかけが本作のテーマであるように思う。

本作では、明確な回答はない。多分こう言いたいんだろうな、とは思うが、問題提議の対応は観ている我々に委ねられる格好だ。実際、ルールや規則に応じて仕事をする人々に、臨機応変に動く柔軟さを身につけよというのはかなり難しいと思うし、結局のところ 都度熟慮して行動せよと言うほかない気もする。その意味で、この問いは未来永劫 明確な回答は出せない究極の難問なのではないだろうか。

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。