いま、日本では世界各国のいろいろなクルマを選ぶことができる。予算に応じて、それこそ悩めるだけ悩めるし、その気になれば買いたいだけ買うことすら可能なほどに「豊か」である。それは素晴らしいことである反面、では何のためにクルマを必要としているのか。ロシアの大地をたくましく走るクルマたちを見て、そんな疑問も湧いた。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

そのシベリア鉄道への積み込み場所にも、ブローカーはふたりいた。

ひとりは、ヒゲを生やした中年男のイーゴリ。4トントラックをボルゴグラードまで運ぶのだという。親切な男で、ルート全般についてやサンクトペテルブルグからのフェリーなどについて丁寧に教えてくれた。いつも、クルマを運んでロシアを横断しているから、知識と経験が豊富だった。彼のアドバイスが、スコボロディノからシュルカ間はカルディナをシベリア鉄道に乗せることを決定させた。

そのヒゲのイーゴリは別の列車にトラックを乗せて一足先に西へ出発したが、僕らと同じ列車に乗り合わせたブローカーは、読売ジャイアンツの高橋由伸似の青年だった。2トントラックの荷台に、ホイールを外して、導板に乗せたカローラごとコンテナに乗せた。両方とも、遠くの町まで運んで売るのだという。

何千キロも離れたところまで、中古車を、それも場合によっては自走してまで運んでも利益が出るということは、日本車が人気であると同時に、手頃な中古車が絶対的に不足していて、流通も整っていないことを示していた。

日本の中古車が人気だといっても、新車は別勘定だ。新車は、当然、右側通行のロシアに合わせ、左ハンドル仕様が輸入されているから、規制の対象とはなっていない。

これからの自動車市場として有望視されているだけに、ロシアには世界各国の自動車メーカーが進出している。もちろん、トヨタも積極的だ。

トヨタを始めとする日本車のディーラーは各都市に存在し、繁昌していた。だが、高価な新車を買えるのはごく限られた富裕層だけであり、それ以外の人々は中古車を求めることになる。だから、日本車に限らず、新車を購入することは特別なことで、“クルマを買う”ということは、普通は中古車の購入を意味している。ロシアでは、日本のように新車と中古車の価格が比較的接近し、供給も滞りなく行われているわけではないのだ。

クルマとは実際的なもの
たくましく使われる存在

デモの目的は、政府が採ろうとする政策に対して抗議の意志をアピールすることだった。政策というのは、ロシアの産業エネルギー省が、国内の自動車産業育成と外国の自動車メーカーの工場進出を誘致するために、中古右ハンドル車の新規登録を認めないことと高額の課税を施そうとしたことだ。

関係閣僚がこの問題を討議する5月19日に合わせて、全国で抗議の意思表示のためにデモが行われたのだった。あんなに広い国土で、そして、日本や欧米ほどにはコミュニケーション事情が発達しているとは言えないロシアで、よくもうまくタイミングを合わせて各地でデモができたなと、ヘンな感心をしてしまった。

ロシア政府の関係閣僚会議で、ショイグ緊急事態大臣は「わざわざ騒ぎを起こすようなことをする必要はない」と、産業エネルギー省などに対して、慎重に対応するよう注文を付けたという。

それはいいとして、僕が嬉しくなってしまったのは、ロシアの人々が自分達の生活手段であるクルマが手に入れにくくなることに対して、ものすごく敏感だということだ。

僕たち日本人は世界中のいいクルマをたくさん買って、乗っているけど、クルマに対して、果たしてここまで切実になれるだろうか。

この、右ハンドル車規制に対するプロテストというのは今回が初めてのことではなく、僕らがロシアを走った2003年にも行われていた。まぁ、年中行事みたいなものである。

暮らしていくための足を奪われてはならぬ市民側と、スキあらば中古日本車を閉め出したい為政者側とのせめぎ合いという構図が、そこにはうかがわれる。でも、為政者側も真剣に中古右ハンドル車を閉め出そうと思っていないようなフシもうかがえるのだ。

なぜならば、本当に、中古日本車を閉め出してしまったら、国民の大きな自動車需要を満たすことはできないからだ。仮に、ヨーロッパ側から左ハンドルの中古車を輸入しようとしても、必要な台数が賄えるかどうかわからないし、賄えたところで東側に輸送しなければならない。

日本側からとヨーロッパ側から輸入している現在でも引く手あまたなのだから、一気に規制してしまっては、今度はデモどころでは済まないだろう。