文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。
ロシア人がロシアで暮らして行く上で、彼らにとってクルマとはいったい、何なのだろう。
それはもう、純粋に生活を支える道具以外の何ものでもない。A地点からB地点まで、人やモノを乗せて移動する。それ以上でもなければ、以下でもない。
A地点とB地点を結ぶ道路はあまり整っておらず、特に東半分では未舗装であることが多い。食料や燃料の確保、通勤のための交通手段といった、生きていくために避けて通れないことが、クルマに課せられた第一の役割となる。
「ソ連時代は、泥棒とか誘拐犯などの犯罪者はいなかったから、みんな気軽に道端に立って、ヒッチハイクしていましたよ。僕も、遠くのお婆ちゃんの家に行くのに、走ってきた全然知らないクルマに手を挙げて、ひとりで乗っていましたから」
通訳として同行してくれた留学生イーゴリ・チルコフさんは少年時代を思い出してくれた。
「父親は工場で働いていて、クルマを手に入れるのに、10年以上待たされました。申請をして、ずっと待たされるのです。資金が貯まるのを待っていたのではなく、許可が下りるのを待っていました」
そうしてやっとチルコフ家に来たのは、2ストロークエンジンをリアに積むザパロルツというロシアで最も小さな4人乗りセダンだった。
「そのザパロルツを大事に乗り続け、ずいぶん後に、次はジグリに換えました」
ジグリとは、フィアット125を当時のソ連でライセンス生産したもので、各種の4気筒エンジンを搭載したセダンだ。今でも、ロシアの西半分の路上ではとても多くの台数が走っている。
ハードな道路環境と気候条件をものともせず、かなりの長距離をロシアの人たちは走る。そのため、道路際でボンネットを開けて立ち往生しているクルマも少なくない。
実質的なクルマ選びが行われ、実際的にクルマが用いられている。どこかの国のように、“ブランド”だとか、“プレミアム”だなんて、誰も口にしない。そんな虚ろなものが存在する余地すら、いまのロシアにはないのだ。
みんなたくましくクルマに乗っている。デモ行進は、そんなロシア人中古日本車オーナーたちのささやかな抵抗なのだった。
(続く)
金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身のホームページに採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。