年間100本を超える映画・ドラマ(連続シリーズを含む)作品を消費することから、1/100の映画評と名づけた連載。
今回は結婚や出産によって社会進出の夢を絶たれる女性の哀しみと苦悩を描いた『82年生まれ、キム・ジヨン』を紹介する。

日本人にも他人事ではない性差別

結婚あるいは妊娠をきっかけに家庭に入り、仕事を諦めなければならないのは常に女性。
家事や育児を担当するのは常に女性、そうした頑張りは単に内助の功という言葉で括られる。
性差における抑圧が当たり前な社会常識として設定された世界。

そんな無意識下の差別に息苦しさを感じ、精神的に追い詰められてしまう女性ジヨンと、周囲の人々を描いた作品が本作、『82年生まれ、キム・ジヨン』。
韓国社会のデフォルメされた断面を静かなタッチでドラマ化しており、その儒教的空間の典型的な悪癖(例えば、父親が絶対的な家長として君臨する家族の姿や、女性に対する理想的な在り方の押しつけなど)に、同国文化への嫌気を募らせられるかもしれないが、実のところ日本においても似たような振る舞いは多く見られ、他人のフリ見て我がフリ直せと思わせられる一本である。

差別はしている方は案外気づかない(気づけない)

本作のヒロインであるジヨンは、社会的な成功、すなわち仕事を通じて自己実現したいと願い、その能力にも恵まれながら、結婚と出産を機に家庭に入り、立身出世を諦める。仮に復帰したとしても、男性同僚とは勤続年数で差をつけられ同等の出世は望めない。
そして男性にも育児休暇の取得は認められているものの、その取得は出世レースからの事実上の撤退を意味するし、それが社会常識になっているので 制度自体はあっても利用が促進されない。結局、仕事は男性、家事と育児は女性、という図式に変化がないままだ。仮に開化的な夫であったとしても、家事や育児に対する態度は“手伝う”という、補助的なものであり続け、主体的な形にはなり得ない。

これはジヨンのみならず、世の女性たちがすべからく受けている差別的な扱いだ。もちろん、その扱いを逆手にとって、そもそも社会的な成功を求めず、結婚を“永久就職”と捉えて 家庭に入ることを良しとする女性もいるし、そこを逃げ込み先とする考え方も存在する。

どちらが正しいのかは正直難しい(男女で 肉体的な差異があり、それにより精神的や文化的な差異が発生することはそもそも生物学上当たり前だ。だが、そうした違いをもって法律や制度を作り一方的に押し付けてきたのは男性側であることも事実だ)。僕にはジヨンの反応や苦しみがちょっとエキセントリックにも見えてしまったのだが、彼女の苦しみを我が事のように思える女性は多いかもしれないし、現実はもっと酷い!と訴える人もいるだろう。

本作は、本作自体の出来云々を語る前に、まずなぜ本作のようなテーマの作品が生まれ、メジャーな扱いを受けているのか?を皆で議論すべきなのではないか、そんなふうに思うのである。

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。