年間100本以上の映画を鑑賞する筆者が独自視点で今からでも・今だからこそ観るべき または観なくてもいい?映画作品を紹介。
ベネディクト・カンバーバッチ主演の非アクション西部劇『パワー・オブ・ザ・ドッグ』は、男らしさの陰に潜む息苦しい秘密と、それを利用しようとする者の悪意を描く。

荒々しさを伴う男らしさが美徳とされた時代

舞台は20世紀初頭のアメリカ。
主人公のフィルは、当時としては珍しい大卒ながら、弟と共に牧場経営する中年男。経営に必要な渉外や計算は弟に任せ、彼は荒くれカウボーイ達の取りまとめや牛の世話などに取り組む日々を送っていた。
そんなとき、弟がある未亡人と結婚する。女には10代の連れ子ピーターがいたが、外科医を目指すも女児とみまがうばかりのピーターの華奢な容姿は、フィル達カウボーイとはかけ離れたものであり、荒くれ男たちの嘲罵の対象になってしまう。

現代ならば、どちらがイケメンかの判断は明らかだろうが、20世紀はじめにあっては、男は筋骨隆々でなければならず中世的な男児の魅力は到底認められるわけもないものだったので、フィル達にしてみればピーターはあくまで異物なのであった。

しかし、そんなピーターを邪険に扱うフィルには、誰にも明かすことのできない、秘密があった。20世紀初頭のアメリカでは絶対的なタブーであった秘密、フィルは男にしか性的興奮を得られないカラダなのだった‥。

そして、その秘密をピーターに知られてしまったとき、フィルとピーターの運命の歯車は大きく動くことになる。

見た目と中身が異なる当たり前さ

本作は、20世紀初頭における“男らしさ”の意識と、その影で決して他者に知られてはならない性癖に苦しむ男と、見た目や趣味こそ女性的だが、冷徹な外科手術を顔色ひとつ変えずに行える冷ややかで強靭な精神を持つ青年の対比と、交わってはならないはずの交わりを描いた作品だ。

21世紀の現代とでは比べようのない、性の倒錯に理解のない社会にあって、男色を隠し通さねばならないフィルの苦しみはいかほどであったろう。また、腕力や威勢の良さなど、力強さが男性を意味する社会にあって、中世的な外見と高い知能を併せ持つ現代的な青年が、嘲りや中傷の対象になったことは想像に難くないが、ピーターにはそれを逆手にとって利用するだけの強かさがあった。

前述したように、フィルには表に出せない秘密があり、それがゆえに必要以上にマッチョな自分を全面に出さなければならなかったが、その秘密を知られた相手がピーターという、一見女性的な青年であったため、彼を取り込んでしまえばいい、と考える。そして、距離を詰めて親密になろうとする自分の行為を、ピーターが不快な様子なく むしろ進んで受け入れようとするのを見て、フィルはピーターが自分と同じ嗜好の持ち主であると思うようになる。

しかし、その思い込みがやがてフィルに大きな災厄をもたらすことになる。ピーターが自分に抱いていた悪意がどれだけ暗く深いものだったのかを思い知らされることになるのである。

ちなみに、映画冒頭ではモノローグで「母を守る」という旨の呟き(ということは、ピーターの心の声ということになる)を聴くことができるが、母親に仇なす存在を排除しなくてはならない、という大義名分は、あくまで自らの行為への言い訳に過ぎないのでは?と思わされるのだ。ピーターの持つ悪意とは、それが向けられる対象は誰でもよく、動機が正当づけられればそれでいい、という、事故を偶発的に引き起こす災厄のようなものなのでは?と感じられるのだ。

事故にあった被害者がもつ特殊性を特殊なことであると感じてしまうこと自体が不自然なこと?

本作は非常にセクシャルな要素を持つ作品であり、当時としては決して認められない"倒錯した性の持ち主"を描いている作品としては『ブローバック・マウンテン』を思わせる、異端の西部劇、と言えるかもしれない。しかしながら、本作の趣きは『ブローバック・マウンテン』とはかなり異なり、異性愛を隠さなければならなかった時代の苦悩(それは現代でも同じかもしれないが、現代ならば、それをオープンにして生きる術はあるように思える)を描いているというよりは、どんな時代にも存在した異端者の生き方の違いを描いているように思える。
性の多様性を浮き彫りにするというよりも、人間(じんかん)に存在する悪魔、というよりは底知れぬ深い穴(というか闇)を描いた作品であるかのように思うのである。

ピーターの悪意に触れてしまったフィルが、たまたま暗い秘密を抱えていただけで、それ自体は時代に関係なく普遍的な存在であり、そちらに興味をそそられるということは、2022年初めの現代においてもまだその普遍性が受け入れられていないということなのだろう。

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。