本作を観るべき点
庵野監督が、そのライダー愛を全開にしてくれた点をまずはお伝えしたい。
仮面ライダーをはじめ、敵方の怪人(オーグと呼ぶべきだけど)の造型は、かなり良い。というよりさすがという感じだ。敵も味方もマスクを被る理由がちゃんと描かれているし(マスク自体がオーグとしてのアイデンティティを示しているし、マスクに闘争心を掻き立て情け容赦なく全力を出させるソフトウェアが仕込んであるのだが、何よりマスクなしの顔は流石に醜く変貌しているから、隠したくなるのは人情と思える)、マスクはオーグ側も非常にカッコいい。クモでもカマキリでも相当にイケてるから、敵味方関係なくつけたくなるはずだ。
それに、ライダーのボディやグローブなどへの違和感は、防護服として着用しているという説明がなされているから、上手に解消されている。
(初代)ライダーは少なくともショッカーの怪人(本作では繰り返すがオーグ)として改造されたのだから、バッタの化け物のはずが、見た目がそれなりにかっこいいし、化け物感が少ないという違和感を、“テレビだから”という言い訳で感じないようにしてきた人たちは多いと思うが、本作においてはその違和感へのきれいな回答が用意されているわけだ。
さらに、仮面ライダーに変身する(=人間→オーグ)には(サイクロン号という愛車のスーパーバイクにまたがることによるなど)風の力がいるのだが=風力をエネルギー(本作ではプラーナと呼ばれている)に変える のだが、本来なら人間から仮面ライダーに変わるための“儀式”が面倒過ぎる。だが、本作においては、プラーナの強制排除機能を使うことで人間に戻れる(=オーグ→人間)、つまりオーグの力をフルに使えるようになるのはそれなりに大変で、戻ることは簡単。だけどあまり戻ろうとする者はいないという逆説が成立しているのである。
オーグになることですごい力を得られるから、人間には戻りたくない。だけどオーグになると醜くなる。だから、マスクを被りたい→オーグは基本オーグの姿を維持しており、大抵はマスクを被り続ける、ということだ。
こうして仮面ライダーがヒーローとして成立するための約束事が、キレイに論理立っているので、ツッコミどころがほとんどなく、大人も安心して見ていられるということになるのだ。
大人が安心して見ていられる、という言い方からすると、ハチオーグ(ミツバチではなく、スズメバチ)を演じた西野七瀬の存在感はなかなかのものだった。大人の鑑賞に充分耐える出来だったと感じるし、むしろ彼女とルリ子の百合的感や 口吻は毒性というか、独特の味わいがあった。
常に冷静沈着で感情を表に出さないルリ子が、仮面ライダー 本郷猛とのやりとりを通して徐々に人間的になっていく様も良かったが(あまり好きでなかった浜辺美波への印象も好転したが)、西野七瀬の役得はより大きかったと思う。
関係ないが、本作は主役陣とは別に、大物芸能人が使い捨ての、エキストラであるかのような
扱いでの出演(クレジットを見なければわからない?)をしている(例 前述のサソリ女役の長澤まさみ。ライダーやルリ子らとの絡みは一切ない)。
いささかクレイジーでセクシーなサソリオーグなら登場時間もまあまあな尺でまだマシなのだが、松坂桃李(ショッカーのAIの肉体的代理人でありロボット刑事K−ケイ のオマージュであろうロボット執事Kの声?)や本多奏多(ゲルショッカー??−死神博士チームと称していた– の、カメレオン+カマキリのKKオーグ?柄本佑演じる仮面ライダー2号にすぐやられてしまう)、大森南朋(2度見たがどこにいたか全くわからない)らが出ていたらしい。