現代のスポーツカーを代表するのが「スーパースポーツカー」と呼ばれるモデルたちだ。その中でも斬新なコンセプト、そして研ぎ澄まされた機能性を実現したマクラーレンこそいまの時代を象徴する存在だといえる。570Sスパイダーでその真価を実感してみた。(文:大谷達也/写真:小平 寛、永元秀和)

本記事はモーターマガジン 2019年7月号にて特集された記事のWeb版です

※記事内の価格は2019年7月のものです。

フォーミュラ1から生まれた最速の美学

私(大谷達也)はモーターマガジン誌の特集企画での対談で“スポーツカーの魅力とはタイヤの性能を引き出すことにある”と明言した。こうして文字にしてみるとなんだか偉そうだし、“じゃあ、オマエにどんな環境でもタイヤの能力をフルに引き出せるだけのドライビングスキルがあるのか?”と問われれば、ひれ伏すしかない。だが“ドライバーがタイヤと対話できてこそのスポーツカー”との信念は変わらない。

では、ドライバーがタイヤと対話するためには、クルマにどんな資質が求められるのだろうか?

その第一は、タイヤが路面をグリップしている状態があますところなくドライバーへ伝わることにある。こうした情報は、主に振動や音によってもたらされる。なので、タイヤからドライバーに至るまでの伝達経路には、振動や音を吸収するゴムのような弾性体はできれば少ない方が好ましい。

その第二はドライバーが行った操作を、素早く正確にクルマの動作として反映させることだ。たとえば操舵時のレスポンスが優れているのは当然として、操舵した量とハンドルの切れ角(というか、実際にクルマが曲がっていく量)が常に正比例の関係にあるのが望ましい。これは、パワートレーンやブレーキの反応も同様だ。ここまでの2点が実現できていて、初めてドライバーは“クルマから正確な情報”を受け取り、これに応じて“クルマを正確にコントロール”できるようになる。

上記2点が成立していればスポーツカーとしての基本的な要件は備えているはずだが、念のために付け加えれば、タイヤの能力をしっかり引き出すシャシ性能も重要なポイントである。

これにはサスペンションが理想的な動きをするのに必要なボディ剛性、過剰なロールやピッチングを抑えるためのサスペンション剛性、そしてボディの姿勢変化にかかわらずタイヤを常に路面と適切に接地させるサスペンションジオメトリーなどが含まれる。

こうした条件を揃えたスポーツカーはまるで自分の手足のようにコントロールでき、結果としてタイヤの性能を十分に発揮させることができる。さて、前置きはこのくらいにして、マクラーレン570Sスパイダーについて語ろう。

どれほど一体感を味わえることができるのだろうか

スパイダーらしく、ルーフを開けて高速道路を走る。サイドウインドウとリアウインドウを上げておけば、風の巻き込みも最小限。

マクラーレンに乗ってまず感嘆させられるのが、クルマとの強烈な一体感が味わえることだ。走り始めると、車速を問わずクルマが饒舌に話しかけてくる。“彼”が用いる言語は様々で、あるときにはシートを通じた振動として、またあるときにはハンドルから伝わる接地感や反力として、様々な情報をドライバーに届ける。これを実現するため、シートはボディにがっしりと固定されていて、微細なバイブレーションも余すところなく身体に伝えてくる。

操舵系の剛性感も圧倒的な高さで、わずかな操舵でもそれが確実に前輪の動きとして反映される。そこに〝遊び〞や〝たわみ〞といった類の印象は一切感じられない。

そのいっぽうで、たとえば路面から跳ね上がった小石がボディを叩く音や振動は、ほとんど伝わってこない。ハンドルからもたらされる接地感は芳醇で、路面のザラツキ具合さえ感じられそうだが、だからといってハンドルが路面の轍に取られることは滅多にない。

つまり、情報量は多いのだが、そのすべてが伝達されるわけではなく、ドライビングに必要なものとそうでないものが取捨選択されている、という感触なのだ。このあたりがスパルタンなだけのスポーツカーと、マクラーレンのように洗練されたスポーツカーの違いといえるだろう。

それにしても、570Sでドライバーに伝えられるインフォメーションの量と種類の設定は絶妙としかいいようがない。国内でマクラーレンをロングドライブするのは今回が初めてだったが、とにかく高速道路をただ淡々と走っているだけでも、まったく飽きることがなかった。オーディオに耳を傾ける必要もなければ、窓の外を流れる景色が変化に富んでいなくても構わない。ただ、570Sとの穏やかな会話を楽しむだけで一向に退屈しないのだ。