1970年代のNYを舞台に無実の罪で投獄されてしまう黒人青年と恋人そして彼らを取り巻く人々が淡々とした映像で描かれている。
エンターテインメントとして鑑賞しないこと
まず最初に言っておきたいのは、本作は面白くはない、ということだ。『ムーンライト』もそうなのだが、社会的弱者として無慈悲で根拠のない差別にさらされている者たちを、淡々と美しい映像で追う手法は、同じような立場にはいない観客には 退屈極まりないと感じられてしまうのではないか。もっと劇的に、もしくは多少でもスリリングなスパイスを効かせてもいいのではないか?映画なのだから、と思わざるを得ない。
とはいえ、退屈だから出来が悪い、ということではない。見るべき人が観れば監督の想いはダイレクトに届くのだろうし、少なくとも前述の通り映像は切なさや儚さを漂わせたひたすら美しく、本作の主人公である黒人青年ファニーとその恋人ティッシュの、深く固い魂の繋がりを誰からみても疑いようのない強さで感じとることができる。
だから、本作は愉快に刺激的な2時間を消費するエンターテインメントとしてではなく、いわれのない差別に虐げられながらも愛に生きる者たちの姿勢を静かに鑑賞するために人生のある限られた時間を捧げるつもりで観るべき作品なのであると言っておこう。
【ストーリー】黒人差別が色濃く残る70年代のニューヨークに生きる恋人たち
主人公ファニーは、芸術家肌の若い黒人。
幼なじみのティッシュと結ばれるが、結婚を前に 白人女性のレイプ犯として逮捕され、罪に問われる。
ファニーの子宝を宿したティッシュは、家族の助けを得てファニーの無実を晴らそうと奔走するが、ろくな証拠もなしにファニーを犯人と決めつける白人警官や 黒人に対して冷たい司法の前にどうすることもできない。
それでもファニーとティッシュは、子供と共に家族として暮らすことを夢見て、愛と希望を失うことはないのだった。
ちなみに、ファニーには白人の友人もいるし、新居を探そうとする2人に協力的な白人大家(ユダヤ系だが)やスーパーの店主も登場する。つまり単純に黒人対白人の対立構造を描こうとしているわけではない。
結局は、人によるのだ。
アート作品がお好きな人は楽しめるかも
繰り返すが、本作は少なくとも僕には全く面白くない、最後まで観通すのがかなり苦痛な映画だった。同じく差別と、それに抗う者を描く作品ならば『グリーンブック』の方が分かりやすかったし、
他にも心震わせる作品は多くある。少なくとも本作は、観客を楽しませるという本来の(娯楽としての)映画作品の使命を果たそうとはしていないと思った。
ただ、アートとしてみれば本作は正しく成立しているのだろう。(作中ファニーが作った作品が画面に登場するのだが僕にはガラクタにしか見えなかった。これもまた、見る人がみたら、芸術性を感じさせるものなのだろうが)
その意味で、本作のジェンキンス監督はクリエイターというよりアーティスト気質なのだろう。僕には向かないが、こういう映画を好む人も多いはずだし、だからこそ、アカデミー賞などの評価にも与ることができるわけだし。
そして、文句を言いながらも、この作品を最後まで観た、そして読者に紹介しようとしているということは、僕にも何か影響を与える作品であるということだろう。
小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。
ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。