実話を基にした、裕福な黒人と無教養な白人の心の触れ合いを描いた傑作
アカデミー賞助演男優賞に輝いたマハーシャラ・アリが演じるのは、天才的技巧を持つ黒人ピアニスト、シャーリー(彼がピアノを弾くシーンは本当に素晴らしい)。比較的リベラルな北部で培った名声と、築き上げた富に甘んじることなく、黒人に対する強い差別が残る南部での8週間もの演奏ツアーを試みる。
ツアーの道中に起こり得る身の危険を避けるために、ボディガードを兼ねてツアードライバーとして雇われたのがトニーだったが、彼自身差別的な意識を捨てきれない、典型的なプアーホワイト(下層階級の、教養のない白人)。
しかし、裕福で知的であっても黒人であるというだけで不当な扱いを受け続ける黒人の社会的立場の低さと、何があっても毅然とした態度を崩さず、卑屈な様子を見せることのないシャーリーの姿勢を見るにつれ、トニーの心の中にシャーリーへの尊敬心と友情が芽生えていく。
(トニーがまずシャーリーに対する尊敬心を芽生えさせるのは、彼の演奏を聴いた時だ。その素晴らしさに胸を打たれるのだが、トニーが持っていた黒人差別の意識が、理由があってのことでなく、なんとなく植え付けられていた気分に過ぎないことや、彼が素直で純粋な心根を持っていることを表現する、とてもよい演出と思った)
実話らしく著名人の名前が多用されていて楽しい
タイトルになっているグリーンブックとは、旅をする黒人に向けたガイドブックであり、黒人専用の宿泊所やレストランなどの場所が記されている(逆に言えば白人専用のスペースには黒人は足を踏み入れることができない)。
トニーは最初は自分よりもはるかに教養があり、金も持っているシャーリーに対して、ボス扱いはしながらも心の中で敵愾心を持っている。しかし、受けた仕事に対しては最後までやり遂げようという真摯な姿勢を持っている彼は、シャーリーのスノッブな物腰に反発しながらも逆らったりはしない。むしろ、シャーリーが抱えている逡巡や辛苦については無視している。
しかし、南部の差別的扱いに耐えるシャーリーの姿を見るにつれ、そもそも差別の存在を巧妙に正当化しようとしているあざとさの象徴であるグリーンブックが存在すること自体に怒りを覚えるようになる。シャーリーが胸中に隠す怒りや哀しみを知るにつれ、心の中に巣食っていた自らの黒人差別が薄らいでいき、さらにはシャーリーへの同情を超えた、彼への尊敬心が生まれてくるのである。
1960年代の米国といえば、黒人の公民権運動が解決されるべき社会問題としてクローズアップされてきた時期であり、逆にいうと法的には黒人は白人と平等な扱いをされるべきとされていたものの、むしろその分かえって白人側の差別意識が高まっていた時代でもある。
(現代の米国の政治状況を見ると、1960年代のそれと酷似しているような気もする)
本作はシャーリーという不世出の音楽家でさえも、黒人であるというだけで甘んじなければならない数多くの差別や悪意を描きながら、差別意識を持つ側の白人のトニーを主役に据えることで、観る者に深い自省を促すようになっている。
主人公のトニーは、たしかにシャーリーに向けられる無数の不当な悪意に怒りを覚える。しかし、彼もまた、白人の中でも相対的に低い地位とされてしまっているイタリー系であり、シャーリーへの差別もある意味他人事でなく理解できるのだともいえる。
とはいえ、劇中、黒人嫌いの気分に凝り固まった白人警官によって拘束されてしまうシャーリーとトニーを救うのが、時の大統領の弟にして司法長官のロバート・ケネディ(イタリー系と変わらない扱いのアイリッシュであるが、金持ちであった彼は、強い差別を受けることはなかった。政治家としてのロバートは公民権運動への最大の理解者の一人であったとされる)であったり、シャーリーに対してもトニーに対しても真っ当な態度で接する白人警官の存在があったりと、トニーだからシャーリーを理解できたというよりも、誰もがシャーリー、いやすべての差別を受ける人への態度を改められる良心を持つチャンスがあることが示されているところが、本作を押し付けがましい感動作ではなく、誰にでも受け入れられる、心温まる作品に押し上げている要因と思えた。
小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。
ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。