これは、そんな「夢」を夢ではなくて、本当に2003年の夏に実現させた金子浩久氏による、1万5000kmに及ぶ現代の冒険紀行記である。
走り始めた偉大なるロシアの大地の道、そこには大きな「穴」が口を開けていた。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。
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ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.5 〜検問所に高まる緊張 〜
事務的に検問は終了
総じて東部は和やか
検問所は日本の交番の3倍くらいの広さで、2階建てだ。入った正面に1.5メートル四方ほどの牢屋が見せしめのように設えてあり、右手にカウンターがあって、その奥に衝立を隔てて事務机と椅子が置かれている。
警棒で指図した係官がカウンターの上にA3版ぐらいの大きさのハードカバーのノートを広げた。イーゴリさんを通じて、関係書類を提出させ、一通りパラパラとやっている。書類を手渡された上司らしい係官は、同じことを同じように行ったのがおかしかった。猿の蚤取りのようだ。
警棒の係官は、パスポートと国際免許証は脇に置き、ロシア語で書かれた通関書類からカルディナの車名、車体番号、エンジン番号、僕の名前、パスポート番号等々をノートに書き写していった。ノートを覗き込むと、自分の名前らしきものがアルファベットではなく、判読不可能なキリル文字で記されている。
「この警官は、アルファベットを読めませんからね」
だから、ハナからパスポートと国際免許証を見ようとはしなかったのか。でも、国際免許証の白い折り込み部分には、運転区分がロシア語で記されているんだけどな。
「どこまで行くんだ?」
ポルトガルまで。
「ピストルなどの武器は持っていないか」
持っていない。
「ちょっとエンジンルーム見せて」
ちゃんと、車体番号を照合している。質問も少なく、きわめて事務的に終わって、ちょっと拍子抜けした。それもそうだろう。係官が訊ねるような事項は、だいたい書類に記してあるはずだ。ロシアのヴィザもたっぷりと90日間も取ってある。それも、観光ヴィザでも、ビジネスヴィザでも、学術調査ヴィザでもない「人道ヴィザ」なんていう珍しいヴィザだ。ヘタに尋問して面倒臭いことに関わりたくないという気でも起こさせたのか。あんまり検問し甲斐がないのかもしれない。あっ気なかった。
翌日、ハバロフスクからブラゴベシチェンスクに向かう途中で停められた検問所が面白かった。白樺林の中のM30にポツンとあり、なんでこんなところにと不思議だった。
「中国の国境が近いからでしょう」
アムール河の向こうが中国で、河まで21キロという標識が、珍しくさっき出ていた。
ここの係官はヒマを持て余しているようで、質問が終わった後に、僕らを呼び止めた。
「せっかく日本から来たのだから、お土産をあげよう」
差し出されたのは、旧式の飲酒運転取り締まり用の3ミリ径のガラス製アンプルだった。呼気を吹き込むと、中の薬品がアルコールに反応する。お返しに、タイヤメーカーのステッカーをあげた。
総じて極東からシベリアに掛けての検問所は僕らに和やかで、道路状況などについてアドバイスを授けてくれたりして、親切な場合すらあった。これが変化するのは西シベリアからヨーロッパに掛けてなのだが、それはこの時点ではまだ知らない。
検問所は、標識のほとんどない道路と同じ意味を持つ旧社会主義時代の遺物だ。クルマで自由に旅行などできなかった時代のチェックポイントだ。国家権力が国民を監視する“人力Nシステム”である。(続く)
金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身のホームページに採録してある。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌で連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。
田丸 瑞穂|Mizuho Tamaru
フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。この実体験から生まれたアウトドアで役立つカメラ携帯グッズの製作販売も実施。ライターの金子氏とはTopGear誌(香港版、台湾版)の連載ページを担当撮影をし5シーズン目に入る。