クルマで、極東の日本から海を渡って「ロシア」と「ヨーロッパ」からなる広大なユーラシア大陸の西端、ロカ岬を目指して走る。
これは、そんな「夢」を夢ではなくて、本当に2003年の夏に実現させた金子浩久氏による、1万5000kmに及ぶ現代の冒険紀行記である。
走り始めた偉大なるロシアの大地の道、そこには大きな「穴」が口を開けていた。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

西進すると同時に受けたロシアン・ドライビングとチェックポイントの洗礼

8月5日の早朝に、ウラジオストク中心部のプリモーリエ・ホテルを出発した。カルディナの入管手続きも前日に無事済ませ、地図やジェリ缶なども購入できた。あとは、ひたすら西へ進み、1万5000km彼方のロカ岬を目指すだけだ。

伏木港から乗ったフェリー「RUS」号で知り合った熊谷公幸さんが、わざわざホテルの玄関に見送りに来てくれた。彼は、250ccのオフロードバイクで我々のゴールであるロカ岬を経由し、そこからアフリカを南下して2004年の春に日本に帰ってくる予定だという。

画像: ウラジオストク市内の自動車用品店。ここで、新品のジェリ缶を購入。盗難防止装置の装着作業もやっていた。

ウラジオストク市内の自動車用品店。ここで、新品のジェリ缶を購入。盗難防止装置の装着作業もやっていた。

本日の予定は、国道M30を約800km北上し、極東ロシアの中核都市ハバロフスクに辿り着くことだ。

ウラジオストクの中心地からM30に乗るためのレクチュアは、昨日、旅行代理店の運転手ウラジミールから受けている。ウラジオストクほどの大都市であっても、道路標識というものは完備されていない。それを慮(おもんぱか)って、親切なウラジミールは自分の担当した仕事が一昨日に終わっているのにもかかわらず、昨日出掛けてきて教えてくれたのだ。ロシアの男たちって無愛想に見えるけれど、こんなに親切なんだ。

「ロシアでは、外国人は珍しいですからね」

クールに受け止めているのは、ボランティアで東京から僕らの通訳を務めてくれたロシア人留学生のイーゴリ・チルコフさんだ。

M30に乗るまでに何本もの幹線道路と交差し、合流した。ウラジミールに聞いておかなかったら、たちまち迷ってしまったことだろう。”迷う“という表現は正確ではない。”迷う“というのは、正しい方角が認識できていて、そこから外れている状態を指すのだが、ここでは何が正しくて正しくないのか、標識の類が一切ないので判断できないのだ。

建物の数が減り、郊外を抜け、森の中の一本道を走り始めた。片側2車線あるいは3車線あり、周囲のクルマは100km/h近くで飛ばしている。こちらもそれに付いていこうとすると、思わぬ落とし穴に遭遇する。文字通りの「穴」が、いきなり道路に口を開けているのだ。

ロシアンドライバーたちは、穴の場所を知っているのか、直前にヒョイッと急ハンドルを切って巧みに避けている。こちらには、そんな真似は無理だ。穴を探しながら用心して走っていたら、後ろから急き立てられるし、流れに付いていっていいペースで走ってしまえば、強烈なショックを伴う。周囲も見なければならないし、直前の路面も見逃せない。まるで広角レンズと望遠レンズを同時にカメラに装着するみたい。こんな運転はしたことがないから、ものスゴく疲れる。

画像: 03年8月7日。ウラジオストクからハバロフスクをすぎ、さらに西へ進むと現れた未舗装の路面。はるか向こうに、水しぶきをあげながら走る1台のクルマが見える。

03年8月7日。ウラジオストクからハバロフスクをすぎ、さらに西へ進むと現れた未舗装の路面。はるか向こうに、水しぶきをあげながら走る1台のクルマが見える。

初めての検問所体験
係官の対応に高まる緊張

なんとかウラジオストク圏内から抜け、次のウスリースクという街に入る手前で、検問に停められた。

ロシアの検問については、日本を出発する前から散々と聞かされていた。曰わく、
「ワイロを支払うまで拘束された」
 曰わく、
「不当な取り締まりに抗議したら、2週間ブタ箱に放り込まれた」等々。

先は長いのだから、ワイロを支払って旅費が乏しくなるのもたまらないし、かといって拘束されて時間を浪費させられるのも御免だ。

検問所は、だいたいどこも見通しのいい平らなところを貫く直線道路の真ん中にある。2車線の国道を途中で1車線に絞り、手前で速度を落とさせ、検問されるクルマとそのまま素通しされるクルマが分別される。僕らが最初に停められた検問所は、ウスリースクの手前の峠にあった。峠を越える途中の道とT字路型に林の中から伸びてくる道の両方を行くクルマをチェックしている。

ゆっくりと進む前車に付いていくと、前車はノーチェックだったが、カルディナは”次のクルマ、こっちへ来い“と係官が手にした警棒で指し示され、同時に右に曲げて建物の方へ促された。

画像: 内陸部に入ったあたり、シベリア鉄道沿いに走っていて出会った2人。まだ昼間だったが、ウォッカを飲んでいてすでに「ご機嫌」な様子だった。

内陸部に入ったあたり、シベリア鉄道沿いに走っていて出会った2人。まだ昼間だったが、ウォッカを飲んでいてすでに「ご機嫌」な様子だった。

カルディナから下り、イーゴリさんが係官とロシア語で話す。練馬ナンバーであることや、見慣れないはずの日本人が二人も乗っていることを驚いている様子はない。

全員グレーの制服に、反り返りの強いひさしが付いた帽子を被っている。警棒で誘導する係官は腰にピストルを下げ、監視役のひとりはカラシニコフを肩から下げてこちらをジッと見ている。彼らの上役らしい年長の係官は建物の入り口に身体をもたれ掛けさせ、退屈そうにしていた。

ブリーフケースからカルディナの通関関係書類、パスポート、国際運転免許証などを持って、3人で建物に入っていく。

書類は完璧に揃っているし、イーゴリさんもいることだから、いきなり拘束されたり、難クセを付けられるようなことはないだろう。険悪な雰囲気も無さそうだ。だいいち、こんなに自然が豊かで心地良さそうな田舎で、陰険な係官なんているものか。映画や小説に出てくるような悪徳警官は、スレた都会に棲息しているものだと決まっている。

でも、自分も田丸さんもロシアは初めてだし、イーゴリさんの故郷ウランウデははるか内陸だ。そこに較べたら、ウラジオストクからまだ500キロも離れていないこの山の中は大都会の部類に入るんじゃないか。何が起きたって、不思議じゃない。

その上、ウラジオストクでのカルディナの通関作業は、東京から手配したこちらの旅行会社に全て任せたから、自分たちは財布から税官吏にワイロを手渡すことぐらいしか何も作業をしていない。旅行会社の従業員と税官吏は手慣れたもので、僕らを待たせることなく、通関予定時刻よりも早く、特別に保税倉庫門塀の鍵を開けさせて、カルディナを出してくれた。

だが、この検問所ではそうした手助けは一切期待できない。頼れるものは何もない。係官の胸先三寸で、すべてが決まってしまうのだ。そう思うと、緊張せざるを得ない。(続く)

画像1: ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.5 〜検問所に高まる緊張 〜

金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身のホームページに採録してある。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌で連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。

画像2: ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.5 〜検問所に高まる緊張 〜

田丸 瑞穂|Mizuho Tamaru
フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。この実体験から生まれたアウトドアで役立つカメラ携帯グッズの製作販売も実施。ライターの金子氏とはTopGear誌(香港版、台湾版)の連載ページを担当撮影をし5シーズン目に入る。

前回の記事はこちら

Vol.1から読むならこちらからどうぞ

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.