あらかじめ調べてみても、本当にわからないものはやっぱりわからない。ロシアの、それも観光地でもないような地方に関する情報は極めて少ないのだ。だが、確実な情報が存在しないのならば、あとは自分で考えるしかない。
「道が悪い?」「道が狭い?」「橋が落ちてる?」「水たまりがある?」
現地で情報を確認しながら、ロシアの大地をヨーロッパへと進んだ。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

ここはまだロシアの西部、シベリア鉄道のスコボロディノ駅にある貨物積み込み場にて。ウラジオストク→ハバロフスク→ブラゴベシチェンスクを経て到着したスコボロディノ。ここからどう西進していくべきか。知り合った筋骨隆々のロシア人トラック運転手“イーゴリ”氏と地図を見ながら検討……。

聞くと見るとの大違い。そして道がなくなった

去年の今頃は、少し焦っていた。ユーラシア大陸横断自動車旅行に出発するまで4カ月を切ったのにもかかわらず、準備が一向に進んでいなかったからだ。

出発までに解決解明しなければならないことの最上位にランクされたのが、ブラゴベシチェンスク〜チタ間の道路がない区間をどう進むかということだった。何種類かの地図を見比べてみると、川やシベリア鉄道はつながっているが、道路はここだけ途切れている。

道路がない!?

地図に載っているくらいの大きな街と街の間に道がないなんて、いったいどういうことなんだ?

道がなかったら、住んでいる人たちはどうやって移動しているんだ? 食材、燃料、消費財などの流通だって、困るだろう?

そもそも、ブラゴベシチェンスクとチタの間に道路がないことを知ったのは、1998年の夏にバイク数台とミニバンでユーラシア大陸を横断した、東京造形大学教授(当時)の波多野哲朗先生と会ったからだった。

ロシアを西に進む幹線道路沿いには、トラックドライバー相手のガソリンスタンドや食堂があるので、燃料と食事の心配は要らないことや、交通の要所要所には検問所が設置されていることなどを知ったのは大きな収穫だった。

だが、悩みの種がひとつ増えた。それが、ブラゴベシチェンスク〜チタ間の無道路区間のことだった。

日本では“道”と呼ばないような悪路が延々と続く

「この区間は道路が存在しないので、僕らはスイフンガという国境の街から中国に入り、チチハル、ハイラルを経由して、満州里からロシアに戻りました」

ならば、僕らも同じルートを採ればいいのだが、政府や大学などの後ろ盾を持たない僕らのような外国人がクルマで中国を通過するのは簡単ではないことも、波多野先生は教えてくれた。

そして、出発予定日まで2カ月を切った頃に同行を快諾してくれたロシア人留学生イーゴリ・チルコフさんの友人が彼の地で警官をしているというので、さっそく国際電話で確認してもらった。
「道はあるけど、舗装されていない上に、曲がりくねって細い。穴や水溜まりもたくさんある。もう直ったけれど、橋が落ちていた区間もある」

現地の警官のリアルタイムでのコメント以上の情報なんてあり得ないのだから、この先を詮索しても意味はない。行くだけだ。