あらかじめ調べてみても、本当にわからないものはやっぱりわからない。ロシアの、それも観光地でもないような地方に関する情報は極めて少ないのだ。だが、確実な情報が存在しないのならば、あとは自分で考えるしかない。
「道が悪い?」「道が狭い?」「橋が落ちてる?」「水たまりがある?」
現地で情報を確認しながら、ロシアの大地をヨーロッパへと進んだ。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

進路を阻む極悪なダート路 一行に上がらないペース

行ってみると、道がない区間はブラゴベシチェンスクの手前から始まっていた。ベラビジャンという、かつてユダヤ人自治区だった大きな街の手前から国道M30が急に悪くなっていった。

道幅こそ10トントラックが2台ずつ左右にすれ違えられるくらいあるが、路面は舗装されていない。土と砂利が混じっており、大きな岩が顔を覗かせていたりもしている。

周囲は林が連続する原野だ。高さが40〜50メートルにもなる木々が群生しているから、見晴らしは良くはない。巨視的に見れば西に直進しているが、微視的にはクネクネ曲がっている。アップダウンもあるし、道の真ん中を雨水が小川となって流れているところもある。

路面を見るとわかるが、ここは状態のいい部類に入る未舗装路。このレベルであれば、100km/hぐらいの走行も問題ない。

3人と荷物を満載した我がカルディナは最低地上高が下がり、先ほどからギャップを乗り越える度に、床やサスペンションを擦りまくっている。注意して走っても、タイヤが窪みに落ちると、どこかが擦れてしまう。

そんな道だから、一向にペースが上がらない。当日のメモを引用してみたい。

〈8月6日。ベラビジャン過ぎて、雨強まる。ダート。極悪路。Max40キロ/h。覚悟していたブラゴベシチェンスク手前から極悪路に遭遇するなんて。確かに道は道だけど、日本や欧米だったら、これは”道“とは呼べないだろう〉

工事途中区間がところどころあった。しかし、原野を切り開きながら行っているから、工事中の迂回路などなく、地面を掘り返しているすぐ横を通らなければならない。

〈64919キロ。30リッター給油[リッター12・5ルーブル]。スタンドの向かいのよろず屋で昼食購入。肉ピロシキ×3、リンゴジャムピロシキ×3、りんご×6、水1.5リッター、スニッカーズ×3。雨止まず、オブルーチェ前後から引き続き極悪路始まる。パンク車ごろごろ〉

同じ車線や対向車線にクルマが現れるのは、5〜10分に1台ぐらいしかいない。7〜8割が日本車の中古。トラックやバスのボディには、「○○運輸」とか「●●食品」、あるいは「▲▲観光」といったペイントが残されたままだ。大手宅配便のトラックもそのまま走っているから、一瞬、どこを走っているのかと錯覚してしまう。日本車以外は、ジグリやラーダ、モスクビッチなどロシアの大古車だ。乗用車は例外なくルーフに荷物を括り付けている。

パンクしたタイヤを交換中のトラック。写真には映っていないが、道の反対側にパンク修理を請け負うタイヤショップがある。

そうしたクルマが路肩にたくさん停まっている。多いのは、パンクの修理。道路工事で撒かれた岩や石の角でタイヤを傷付けている。クルマだけでなく、タイヤもトレッドがほとんどかすれてしまっているような古いものを履いている。トラックやSUVの中には、トレッドだけを張り直した昔懐かしい”山かけ“タイヤを使っているものも少なくない。パンクするのも、無理もない。

エンコして、ボンネットを開けているクルマも多い。問題なく走り続けているクルマの方が少ないのではないか。それほど、路肩に停まっているクルマが多かった。

〈ブラゴベシチェンスク着。アムール川をはさんで、800メートル向こうは中国。携帯電話の画面に、ローミング先の中国の電話会社名が表示されている。危なく、売春宿に泊まるところだった〉

ブラゴベシチェンスクには、何とか明るいうちに到着できて、ちゃんとしたホテルにチェックインすることができた。対岸から、金持ち風の中国人の団体がやってきて、ここのホテルのカジノや宴会場で大騒ぎしていた。

〈8月7日。ブラゴベシチェンスクから130キロの検問所で停められる。昨日通ったオブルーチェ前後の極悪路と同じ程度の区間が長く続くという。警官は、ここからチタまでは検問所が存在しないから、道の悪さよりも強盗や山賊の類に遭わないように注意せよ、と。なるべくクルマを停めずに走れとアドバイス〉

ブラゴベシチェンスクの市内にて。アムール川(中国名:黒竜江)の対岸は、中国東北地方の黒竜江省、黒河市である。