ロシアのスコボロディノ市へ到着するまでに直面した、予想をはるかに越える悪路。さらに、ここから先のチタまでの800kmは、それを上まわる難路だという。一行は決断を下した。「この区間は鉄道を利用しよう」、と。駅で教えられた通りの手続きで貨車に乗り込んだものの、違法営業の運搬手段だったようだ。気分は密航者である。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

18時間の鉄道旅行を経て無事にチタまでたどり着く

「コンテナに人を乗せることがバレるとマズいから、絶対に開けるな!」

やっぱり、違法営業だったんだ。暗く蒸し暑いのと併せて、まるで密航者だ。数年前、中国から日本へと向かう船のコンテナに収まった密入国者が酸欠で数十人も死亡した事件を思い出した。とにかく、換気、換気。

日没は午後10時すぎなので、発車してもガラスと金網越しに車外の様子がよく見える。これまでと同じような、森林と川と湿地帯が連続し、時々、小さな集落の前を通る。列車に乗っていなかったら通ったはずの道も、列のすぐ横を並行したり、離れたり。ギャップが大きくなっており、雨水が“川”を形成して、進路を遮断している。

我がカルディナでその部分だけを通過することはできるだろうが、連続した800キロは無理だ。クルマも、人間も保たない。

スーパーで買ったパンを切り、魚のパテの缶詰、チーズ、韓国製カップラーメンとビールで夕食。優雅に聞こえるかもしれないが、その逆で、コンテナ内は、クルマの一方の脇に人がひとり通れるだけのスペースしかないから、ボンネットの上や高橋由伸のトラックの荷台の空きスペースに皿や缶を置いて、立ち食い。誰かが通ろうとすれば、全員がパンやラーメンカップを手にしながら“大の字”のかたちで壁にへばりつき、通してあげなければならない。

貨車の中で過ごす一行の様子。悪路を走るよりも安全、という判断だ。外光が漏れ入っている。

3人一斉にカルディナの中で眠りに就くのは、ただでさえ窮屈なところをさらに窮屈な気分にさせられるので、田丸さんとイーゴリさんが寝込んでから、ソッとクルマに戻ることにする。

その間、デッキの椅子に座って自分のコンピュータをいじっていると、エミネムと社長の娘がやってきた。娘は、最初から用もないのにコンテナ内を行ったり来たり。親の言うことにも生返事ばかりの、生意気盛りの10歳ぐらい。エミネムはちょっと見いい男だが、とにかくやかましい。

そんな表情とは打って変わって、ふたりとも、眼をキラキラさせてモニターを覗き込んでくる。

日本語を見せ続けるのも野暮なので、デジカメ画像に代える。アフリカの動物や、日本グランプリの決勝スタートの動画々像などよりもふたりが眼を見張っていたのは、ニューヨークの街角の光景だった。

「もっと見せて!」

バッテリーが切れてしまったので、すでにふたりが眠っているカルディナに戻って助手席で寝た。

外が明るくなり、雨が降っている。午前9時頃に停車した途中駅で外に降りてみると、昨日出発したスコボロディノ駅では2両だったはずのコンテナがいつの間にか10両以上連なっている。夜中に停車した駅で、連結していったのだ。

「コンテナに人を乗せてはいけないことになっているから、扉を開けるな」なんて、車掌のエミネムは神経質になっていたけど、こんなに長い列車じゃバレバレじゃん。

午後0時38分、ほぼ定刻通りにシュルカ駅到着。列車から、積み込んだ逆の順序でカルディナを降ろす。高橋由伸やエミネム、社長、初老夫妻等々、たった18時間とはいえ狭い空間で過ごした人々との別れに、ちょっとだけ気持ちが後を引く。高橋由伸は、「困ったことがあったら電話くれ」と、番号を教えてくれた。少しだけダートを走り、あとはチタまで舗装路だったので大安心。

チタ。

この地名を、出発前から今まで何度反芻したことだろうか。

「ロシア極東地方には道が途切れている区間があり、それはブラゴベシチェンスク〜チタ間だ」

この旅を計画してから、様々な人から教えられ、情報源で眼にしてきた。その間を列車に乗せるか、なんとか走るか。いずれにせよ、難所であることには変わりはない。だから、チタに到着するということは、難所をひとつ越えたことを意味するのだ。

ところが、僕らの場合は事前情報とはずいぶん違っていて、ブラゴベシチェンスクの手前からハードな極悪ダートロードに待ち構えられてしまった。でも、チタまでやって来ることができて少しばかりの満足感を得ることができた。(続く)

金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身のホームページに採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。

田丸 瑞穂|Mizuho Tamaru
フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。この実体験から生まれたアウトドアで役立つカメラ携帯グッズの製作販売も実施。ライターの金子氏とはTopGear誌(香港版、台湾版)の連載ページを担当撮影をし5シーズン目に入る。

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