だが制限速度のある場所ならば、そこで速度違反を検挙しようと考える「職務」に忠実な警察官がいてもおかしくない。もちろん大国ロシアでも、その例にもれない男たちが存在する。
しかしそこでは、ちょっとした交渉術も有効だったのである。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。
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ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.13 〜ウラル山脈を越える〜
ヨーロッパ・ロシアで悪代官と悪商人ごっこ
ウラル山脈を越えて、いよいよヨーロッパ・ロシアに入った。しかし、ウファやニジニ・ノブゴロドの街は、これまで通ってきたロシアの他の街と変わるところがあるようには見えない。
大きな違いは、街の中にはなく、街と街をつなぐ国道にあった。
国道は、これまでと変わらない片側2車線の対面通行。舗装率は100パーセントだが、うねりや剥離などが多く、クオリティはヨーロッパ諸国や日本より確実に劣る。
全般的に交通量が増えた。特に、すれ違う大型トラックの中にリトアニア、ラトビア、エストニアなどのバルト3国やヨーロッパ各国のプレートを付けたものが目立って増えてきた。
ルノーやボルボ、スカニア製などのヨーロッパで見慣れたトラックが、西へ進むに連れて多くすれ違っていく。ヨーロッパに近付いている実感を抱いた。
国道M7号を快調に走っていると、長い直線の上り坂の先で脇から飛び出してきた警官に呼び止められた。道の両側が広くなったところで、取り締まりをやっていた。
警官は、右手にハンドスピーカー型のスピード測定器を握っている。僕らのカルディナが、ロシア上陸以来いろいろなところで測られて因縁を付けられた、いつもの測定器だ。「106」という表示を見せ付けられる。
停められたその場で、運転免許証をはじめとする書類一式を見せる。同行ボランティア通訳のアレクセイさんが機転を効かせ、ステッカープレゼント作戦で警官の因縁付けをかわすことに成功した。
「触わらぬ神にたたり無し、です」
つまり、停めてみたはいいが、見たこともない漢字のナンバープレートを付けているクルマだったので、聞き出して調書を作成するのも面倒だし、もし政府や役所に関係していたりしたらもっと厄介なことになる。手っ取り早く賄賂をせびるには、ロシアナンバーの”ふつう“のクルマを停めた方がいい。
警官はそう判断したに違いない。フェロードとバルボリンのステッカーを受け取ると、「ハラショー、スパシーバ」と言って僕らを放免した。ステッカーの効力は、ヨーロッパ・ロシアに入っても強く残っていた。
極東ロシアやシベリアでは、せいぜい数百キロにひとつぐらいの割合で取り締まりが行われていたが、ここヨーロッパ・ロシアではもっと短い間隔で行われている。まさか、自分たちがその餌食になるとは思わなかった。
ステッカーには興味なし
日本の留学話にて解決
「もう、村を抜けた?」
取り締まりは、だいたい集落の出入り口で行われているから、そこを通り過ぎればスピードを上げても大丈夫なはずだ。そう思ってペースを挙げた途端に、同じようにハンドスピーカー型計測器を持った警官がまた飛び出してきた。
ここの警官はプロで(と言うのもヘンな話だが)、最初からステッカーごときには眼もくれなかった。免許証と登録証を奪うと、「重大な違反だから、調書を取る」と言って、僕らをモスクビッチのパトカーに連れ込んだ。
ここまで、何度も検問所で停められたり、スピード違反で捕まったりしてきたが、下心のある警官はすぐにわかるものだ。“穏便に済ませたかったら、出すものを出しな〜”って顔に書いてあるからだ。どことなく表情がヘラヘラしていて、毅然としたところがない。
それに、調書を取り出したのも初めてだ。こいつは、今までのヘラヘラ警官とはちょっと違う。
「2キロ手前で白いジグリを追い越しただろう。制限速度を34キロもオーバーしていた上に、追い越し禁止区間で追い越しをした。運転免許証は預かるから、金曜日に署まで取りに来い」
そんな時間はない。金曜日には、サンクトペテルブルグからドイツ行きのフェリーに乗っていなければならないのだ。
「それは困る。安全かつ円滑な運転を心掛けているつもりだ。別の解決方法はないか?」
「俺は署長じゃないから、知らない
眼が真剣だ。今までの警官たちよりも手強い相手だということはアレクセイさんも認識しているようだ。調書に、僕の運転免許証番号やカルディナの車体番号を書き込む手を休めることがない。
「私は日本の大学に留学していた時に、自分のクルマを運転していました。日本の法律も厳しいです。特にスピード違反には、多額の罰金が課せられます」
「ホホゥ。で、日本ではこのような違反を犯すと、どのくらいの罰金を支払わなければならないのだ?」
「ルーブルに換算すると、ちょうど30ルーブル(約1000円)も払わなければなりません」
悪代官と三河屋の会話だ。またしても、アレクセイさんの機転だ。違反の正式な罰金額がいくらだかは知らない。でも30とか50ルーブルがスピード違反などの賄賂の相場だと教えてもらったばかりだ。
つまり、アレクセイさんは、巧みな言い方でこの警官に水を向けてみたのだ。