だが制限速度のある場所ならば、そこで速度違反を検挙しようと考える「職務」に忠実な警察官がいてもおかしくない。もちろん大国ロシアでも、その例にもれない男たちが存在する。
しかしそこでは、ちょっとした交渉術も有効だったのである。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。
「それで、おぬしたちは今、30ルーブル持っておるのか?」
まさに水心あれば、魚心。この警官の演技力にやられた感もあるが、ワイロは他でも払っている。全然高くない。演技代金とパトカー内見学料金が含まれているとするならば、むしろ安いくらいだ。
現金なもので、30ルーブルをズボンのポケットに押し込んだ警官は調書とボールペンを放り出し、僕らに早くパトカーから出ろと急き立てる。
田丸さんがちょうどカメラを構えていたので、ニコニコし始めた警官をパトカーの横に並ばせて写真を撮ってしまった。
ワイロをせびったにもかかわらず証拠写真撮影に応じてくれるエンターテインメント精神。さすがはロシアのお巡りさん!
モスクワへ続く国道M7号はほとんど直線で、ときどき対向車線を往くクルマが一斉にパッシングをしてくる。
日本でもおなじみの、“この先で取り締まりをやっているから、注意しろ”というドライバー連帯の合図だ。それがひっきりなしに続いている。みんな、理不尽な警官のタカりに抗議している。
受けた側は、車内で軽く手を挙げて会釈する。そして、パッシングされた先では、本当に取り締まりを行っているからタチが悪い。他のクルマもペースダウンし、さらに取り締まり地点の前後では、徐行しなければならないので、ちっとも先に進めない。
「こんなにタカられてばっかりいるんじゃ、タタール自治共和国じゃなくってタカーリ自治共和国に改称したらどうだっ!」
仮にタカられたとしても、30や50ルーブルで済む保証が100パーセントあるわけではないから、油断はできない。
だいいち、取り調べなり、タカられたりする時間がバカにならない。ますます、ペースが落ちてくる。
連日1000km以上の走行
不調を訴え始めたエンジン
タカーリ警官の頻出と反比例して、西へ進むに連れて、国道M7号の整備は良くなっていった。
ところどころで、中央分離帯が出現し、道路標識も増えてきた。道路標識上の地名も、タタール語、ロシア語、英語と3言語で描かれている丁寧さだ。ロシア人のアレクセイさんにも、タタール語は全く異なった言葉で、理解できないという。
「このラジオ放送はタタール語ですけど、僕には何を言っているかわかりません」
道路事情の他に、もうひとつ激変したことがある。日欧米の新型車が急に増えてきた。メモに記したものだけを挙げてみても、フォルクスワーゲン・トゥアレグ、キャデラック・エスカレード、ダッジ・デュランゴ、インフィニティF X45、ハマーH2など世界の流行に忠実なピカピカのSUVがここでも急速にハバを効かせている。
我がカルディナは、ここまで快調に走ってきたが、サンクトペテルブルグを前にして、エンジンが激しく咳き込むような症状を起こすようになってきた。
2100回転前後で、スロットルペダルを半分ぐらい戻すと、ガクガクガクッと失火したようにエンジンが大きく振動するのだ。踏み続けている限りは起こらない。点火系、吸気系を疑ってみたが、なす術がない。
エアクリーナーを取り外してみたら、土埃と細かなゴミが一杯に詰まっていた。だが、清掃してみても、症状は治まらない。あと数百キロ無事でいてくれれば、ロシアを走り切ることができるのだが。
しかし、道路の舗装が良くなったクラスノヤルスク以西では、毎日1000キロ以上を走り続けてきている。すでに7万4000キロも走った7A-FEエンジンのどこかが音を上げても不思議ではない。
ガソリンの質も良くはなかったはずだ。とにかく、ちょっと休んで、点検したい。それはカルディナだけでなく、僕ら人間にも当てはまることだった。
タタール語のAMラジオから、聞き覚えのあるメロディが流れてきた。
「有名なロシア民謡です」
メリー・ホプキンの『悲しき天使』の元曲は、ロシア民謡だったんだ。
(続く)
金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身のホームページに採録してある。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌で連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。
田丸 瑞穂|Mizuho Tamaru
フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。この実体験から生まれたアウトドアで役立つカメラ携帯グッズの製作販売も実施。ライターの金子氏とはTopGear誌(香港版、台湾版)の連載ページを担当撮影をし5シーズン目に入る。