ミュンヘンに住むとある家庭の騒動を軸に、ドイツが、いや先進諸国全体が直面する難民問題の厳しい現実を描きながらも、異文化を受け入れていくことによって生まれる豊かな多様性への希望を見出そうとする意志を明確にした、ヒューマンドラマだ。
差別意識を持たないことは難しいが、それをいけないことだと意識することは誰にでもできるはず
文化も人種も違う、異国からのゲストを迎えたハートマン家は、精一杯温かなもてなしを試みるよのの、彼我の違いが 徐々にハートマン家自体に巣食っていた さまざまな問題を浮き彫りにしていく。
難民青年ディアロの目から見れば、一般的な先進諸国の中では 裕福かつ平凡、特色のないどこにでもいる家族のようにみえるハートマン家も、とっくに引退しているはずの“老人”であるリヒャルトが 若づくりに熱中しているさまは異様だし、リヒャルトを邪険に扱う妻アンゲリカの態度も許せない。自分の子供に関心が薄いようにみえる長男の姿も理解できないし、いい歳をして結婚も出産もしない長女の生活スタイルもありえない。ドイツ語がまだ不得手でもあり、ドイツの文化に不慣れでもある彼は、一切の忖度なく、自分が抱いた疑念を口にして、ハートマン家の面々を閉口させてしまうのだが、さりとて 彼の疑問や不審がすべて正しいかというとそういうわけでもない。普遍的に正しいと言えそうなこともあるし、現代ドイツではそれは違うんだと思えることだってある。妻は夫を立てなければならない、ということもないし、幾つになろうが学生でいたっていいし、結婚して子供をもうけなければならないということもない。
民主主義、自由主義が浸透した世界にあっては、それらの選択は個人の自由なのであるから。
自分の価値観と異なる現状に対して、違和感や嫌悪感を抱くことはやむを得ないと思う。例えば逆に、男なら女性を守るべきだ!という意識だって、男尊女卑の顕れだろうから、それを古いとか時代錯誤だと非難する人もいることだろう。しかし、その意識こそが“男”らしくあろうとする精神支柱となっている場合だってある。
実際、本作においても、主人公の1人であるハートマン家の長 リヒャルトは、ディアロに対して徹頭徹尾友好的な態度で臨むが、彼が外国人に対して差別的な意識を持っている(例 難民の多くはテロリストになる危険があると考えていると思われるし、イスラム教徒にはゲイが多い、と思っているし、ゲイであったらどうしようという不安を感じている可能性がある)のは間違いがない。
実際、ディアロに対しては保っている外面が、職場ではパワハラもあいまった理不尽な態度を異国人の若手医師に見せるのだ。
しかし、繰り返すが、ディアロに対しては、胸の内でどう考えていようが関係なく、とにかく相手の人格を大事にしようとする様子が見受けられる。
僕はそれでいい、と考える。
人間は誰でも、自分と異なる相手に対して差別的な感覚を持ち合わせてしまうものだし、完全に消し去ることは難しい。
しかし、それを表に出さないようにする努力は必要だし、万一その隠した意識が顕在化してしまい、誰かを傷つけてしまったとしたら、素直に非を認めて謝るべきと思うのである。
(2021年2月9日現在、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長による、女性差別的発言が多くの波紋を呼んでいるが、上の考え方でいえば、森氏が女性蔑視的感覚をいまだに引きずっていたとしても、それを表に出してしまうセンスのなさが問題であると思う。思っていても→いや、もちろん差別意識をもっていいとは言ってないが、それを表に出すのはマナー違反だし、その態度は現在のマナーに反していると頭で理解しておくべきだ。時代は昭和ではないのだから)
その意味で、ナイジェリアからやってきた青年ディアロが天使のように正しく振る舞えているか?と言われればそうでもない。彼のものの見方は現代の常識に則していないことも多いし、歯に衣着せない物言いも 決していいことではない。ディアロを非難したり、彼を“ドイツ文化に馴染ませて角を矯めよう”とする人はいないが、逆にディアロの純真さがすべて現代西欧の(米国や日本なども含めた)カルチャーに即していると信じさせるようなこともない。
実際、リヒャルトをはじめとするハートマン家の面々は自分たちの生活態度を変えていくが、ディアロとの交流がそのきっかけではあってもディアロに言われたことが直接の要因になるわけではない。あくまでも自分の意思と判断で自分たちの世界を改善していくのだ。
本作には、難民を絶対に受け入れようとしないし、彼らをドイツの美点を破壊する侵略者であるようにしか捉えていない人々の姿も出てくるのだが、そんな彼らの考え方を糾そうとするような説教者が描かれることもない。難民を受け入れ、多様性を高めようと考える人々はいるが、こうでなければいけない、と一見的なモノの見方を強いる勢力は描かれていないのである。
2015年にドイツは積極的な移民・難民受け入れ政策を発表し、多様性を尊ぶ文化の礼賛を掲げたが、直後に厳しい景気の低迷や、極右勢力の台頭などの危機を迎えている。
また、大量に流入してくる難民に紛れて、多くのテロリストが入り込んでくるリスクにも対処しなければならず、善意の代償は必ずしも明るい未来や成果だけではない。
そんな社会情勢を背景に、それでも国家や民族、宗教や文化の違いを乗り越えていかねばならない、いや、やるんだ、という崇高な想いが込められた作品だ。
小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。
ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。