事前の情報不足もあって、若干の不安と共にカルディナで走ったロシア大陸。
1日あたり悪路を1000km以上走行するようなハードな毎日の連続だったが、ロシア西端に位置するサンクトペテルブルクに至り、ようやくひと息つくことができた。このロシア第二の都市は、帝政ロシア時代の首都であり、そしてまたロシア革命勃発の地でもある。18、19世紀の建造物が美しく立ち並ぶ、その歴史的な街並みを満喫した。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

翌朝、案の定、僕らは二日酔いだった。アレクセイさんは、起きてこない。他の部屋に泊まっていたフランス人の若い男ふたりがチェックアウトしていく。

ここの経営者のオバちゃんは、60歳代後半のロシア人。日本の西野式という体操をやっているので健康だとロシア語で説明してくれる。共同のキッチンで、備え付けの紅茶を沸かし、卵を茹で、トーストを焼いて朝食を摂る。

本日の予定は、僕はいつも通りデジタル画像と日記を東京へ送信。田丸&アレクセイのふたりはエルミタージュ美術館を見学に行くと言う。

デイパックにノートとiBookを詰め込み、ネフスキー通り沿いに大きな看板を出していた「Cafe Max」というインターネットカフェにまず出掛けてみた。

ビルの広いワンフロアを改装し、100台以上のパソコンが整然と並んでいる。談笑用のソファやテーブルも併設され、カウンターで買った飲み物とケーキで一服付けている若者も多い。インテリアは清潔で、デザインセンスも十分に現代的だ。東京やニューヨークのインターネットカフェと違うところがどこにもない。

客も、あか抜けている。電源コンセントに近い席が空いたら、すぐに座ろうと構えていたら、そのテーブルにたむろしていた女子高校生風の3人組が、なかなかどいてくれない。

観察していると、少し離れたテーブルの男の子のグループと近付きたいのだが、向こうが気付いてくれない様子だ。

彼女たちの出で立ちが、西ヨーロッパや日本の都市の女子高生のようだった。ヒップハングのジーンズにバーバリー・ブルーレーベルの新作シャツを合わせ、プラダのバッグから携帯電話を取り出している。メイクだって、ばっちり決まっている。親に相当の収入があって、小さな頃からこうやって街で遊んでいない限りできない格好だろう。

ウラル以東の、夜な夜な村の広場にモゾモゾ集まってきていた、ジャージ姿の娘たちとは全然違う。消費経済の発展具合の違いが、こうまで風俗を変えるとは。これに較べれば、日本なんて北海道から沖縄までノッペラボウの国だ。

結局、インターネットカフェでは自分のiBookでアクセスすることはできなかった。店のコンピュータに接続されているLANコードを引き抜き、自分のにつないでも反応しない。ここでも、マッキントッシュは駄目なのだ。

仕方がないので、hotmailに転送しておいたメールチェックだけで済ます。旅の様子を訊ねるメールが知人から届いており、うれしい。

ネフスキー通り斜め前の、狭く、だいぶくたびれたインターネットカフェに上がっていってみたが、ここは門前払いだった。自分のパソコンを接続してはいけないという。ロシア流にぶっきらぼうに断られたが、向かいのピザハットに入り、ランチを摂って、気分を変える。

この街にはマクドナルドを始め、資本主義の権化のようなファーストフードチェーンがたくさん進出している。ひとりで昼飯を摂るのに困ることは全くない。ピザハットを出て、もう一軒のインターネットカフェも同じように断られた後に、解決策を思い付いた。

「大きなホテルのビジネスセンターに行けばいいんだ!」