長年勤めてきたテレビ局を辞め、自由な生活を求めてほぼ廃墟化したカフェを借りて住み着いた松ちゃん。最近少し陰鬱気味だけど、今日は予期せぬ客の訪問に多少気も晴れて?
Mr.Bike BGで大好評連載中の東本昌平先生作『雨はこれから』第65話「気のいい榴弾」より
©東本昌平先生・モーターマガジン社 / デジタル編集 by 楠雅彦@dino.network編集部『雨はこれから』

旧車乗りの男が迷い込んだのは松ちゃんのドヤだった

オレの愛車はトヨタ スポーツ800。少しクルマに詳しいヤツになら、ヨタハチと言った方が馴染みがいいかな。1960年代の名車で、排気量わずか790ccの空冷水平対向2気筒OHVエンジンを積んだFRスポーツ。馬力こそ45馬力しかないけど、なんてったって車重が580Kgしかない、超軽量マシンだからさ、案外キビキビ動くのよ。

もちろん、現代のクルマと比べちゃダメよ、いくら現役とは言っても50年以上前のクルマだからさ、そこはモノが違うのははなから了解済みなんだ。だけど、今のクルマにはない味というか、面白さがあるからさ、ついつい飛ばしちゃうわけよ。分かるっしょ?

その日もオレは、いい気分でこのヨタハチを振り回してた。ちょっと寂れたいい感じの道を見つけちゃってさ、小さいクルマにはピッタシの、ちょうどいい感じのコーナーが続く道だもんで、オレはマジいい気分で飛ばしてたんだ。

ところが、あるブラインドコーナーを抜けて加速しようとしたオレの目の前を、一台の小型バイクが横切りやがったんだ。

ヘルメットをつけた若い女が乗るそのバイクを跳ね飛ばしちまうかとパニックになりながらも(古いクルマなもんで)効かないブレーキを思い切り踏み込んだオレは、間一髪そのバイクを避けることには成功した。
もうちょいで一生引きずりそうなトラウマを抱える羽目になるところだったオレは、思わず「なにやってんだヨォ!」と叫んだが、バイクの女は「スピード出し過ぎよ」と言い残してそのまま走り去っていった。

なんなんだよ、ふざけんなよとオレは怒りがおさまらなかったが、まあ確かにだいぶ速いスピードで走っていたのも事実。腹の虫は治らなかったが、とにかくヤバい事故にならなかったことに感謝するべきだと自分を言い聞かせながら、クルマを降りたんだ。

そこに松ちゃんはいた

少し冷静になって愛車の具合を確かめたオレは、右の後輪がペシャンコになっていることを確認した。パンクだ。

スペアタイアもジャッキも持ってはいない。はてさて、どうするかと少し途方に暮れて上を見上げたオレは、丘の上に建物があることに気づいた。

とりあえずあそこまで行ってみるか。
どうにかなるかと思ったわけでもないが、他に手があるわけでもない。そういえばさっきのバイクの女も上に上がって行ったように見えたし、そもそもあのバイクは路上用というより、オフロードなどの競技用のようだった。とすれば、多少の工具を持っているショップでもあるのかもしれない。

とりあえずヨタハチを置いて、丘を登り切ったオレは、果たしてさっきのバイクの女と、中年のいかつい男が立っている姿を見つけた。

「どーもー」とオレは相手を刺激しないように下手にでながら近づいた。「パンクしちゃって!」

どうやら、女と男は知り合いらしい。オレのクルマに轢かれそうになったことも報告済みのようだ。

「レッカー呼ぶ?それともパンク修理できるッ⁉︎」と男が言った。

この2人はいったいなんなんだろう?ここはショップというわけでもなさそうだ。オレは少し訝しみながらも2人に近づき「レッカー呼ぼうかな」と笑ってみせた。
2人の素性がどうあれ、とりあえずなんとかなりそうな雰囲気に、オレは少し安堵した。

世田谷ベース的な?

建物の中を軽く覗き込んでみると、中には数台のバイクが鎮座していた。建物の前には窯まである。どうやらここに住んでいるらしいが、何をもって生計立てているのか、さっぱりわからない感じだ。

「驚いたな、バイクでギッシリだ。外には窯まである」 オレは唸った。「こいつはまさしく優雅な余生ってとこだな」

バイクと若者に囲まれながら自由に生きる。仕事をリタイアして、好きなように生きていやがるんだ、このオヤジは。なんて羨ましい。

すると、男は少しはにかんだような微笑を浮かべながら「無意味な榴弾のたぐいですヨ」と言った。

リューダン?

オレには彼の言った意味がよく掴めなかっだが、この場所が彼が求めて実現した楽園ではないのだ、という自嘲が混じっていることは感じとった。

それならこの男が本当に欲しいものはなんなのだ?

しかしながら、オレとしちゃあ、ヨタハチを走らせることでしか発散できないストレスを抱えながら生きている。それと比べたら、あんたはだいぶ幸せなんじゃないの?それ以上を求めるのは贅沢なんじゃないの?と思うほかないのだった。

楠 雅彦|Masahiko Kusunoki

車と女性と映画が好きなフリーランサー。

Machu Picchu(マチュピチュ)に行くのが最近の夢。