文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。
持て余す退屈な時間。陸上とは対照的な数日
翌朝、午前6時前に目を覚まし、窓から外を眺めると、抜けるような青空の下にこれまた紺碧のバルト海が広がっている。ただし、波頭が白く崩れるところを見ると、風が強そうだ。顔を洗ってデッキに出てみると、案の定、強くて冷たい風が吹きまくっている。Tシャツの上にウインドブレーカーを羽織ってきたのに、寒くて立っていられない。
午前7時すぎにブロンソンから部屋に電話が掛かってくる。朝食の呼び出しだ。
食堂に行くと、すでに4人のトラックドライバーたちは食べ始めている。ヨーロッパのホテルと同じようなビュッフェ形式で、並んでいるのは数種類のパン、ヨーグルト、果物、数種類のハムとチーズ、ゆで卵、スライスされたトマト、ジュース類にコーヒーと紅茶。十分に満足できる内容だ。
ドイツのリューベック港に到着するのは、4日目の朝の予定だから、今から約48時間はこの船に乗っていなければならない。
この48時間が退屈だった。デッキは風や雨で日向ぼっこもできないし、サロンのビデオはドイツ語かロシア語に吹き替えられているものばかりだ。本も、軽量化のために20世紀のロシア美術史に関する岩波新書を一冊しか持ってきていない。その一冊も、文章が生硬で読みにくくて、ページをめくる手が進まない。それでも、昼寝をし、サウナに入り、英語版のビデオ映画「ファスト・アンド・フューリアス2」を見付けて見たりして、なんとか暇を潰した。
僕らがうっかりしていたのは、サンクトペテルブルクを発つ前に、酒を仕入れてこなかったことだ。サロンには立派なバーカウンターが設えられているのだが、客が少ないからかシャッターが下ろされている。ブロンソンに訊ねても、積んである酒はビールしかないという。おまけに、ブロンソンは僕らが食べ始めるのを確認すると、スッと自室に消えてしまうのである。2日目の晩はそれに気付かなかったから、またベックスビールを注文しようとした時には、いなくなってしまっていた。
たっぷりと昼寝をしているので、ちっとも眠くない。飲む酒も、読む本も、見るビデオもない。でも、時間だけはたっぷりとある。これは、かなりツラいですよ。
新鮮に思えたヨーロッパ。4日目にドイツヘ上陸
3日目の昼前に、旧東ドイツのサスニッツという小さな港に到着した。積み荷の出し入れはあったのかも知れないが、乗船しているメンバーは変わらない。
入り江状になった港をデッキから眺めると、街並みと建物がドイツ的に整理整頓された小ざっぱりとしたところにヨーロッパを強烈に感じる。クルマの新しさとキレいさも、ロシアにはなかった。たった1ヵ月間だったけど、ロシアの光景にこちらの目が慣れてしまったらしい。昔、初めてドイツを訪れた時と同じ、新鮮な感覚にとらわれた。
暇は3日目も変わらず、それでもドイツ人のトラックドライバーと親しくなり、少し話をした。彼が持っていたADACの地図帳を見せてもらいながら、リューベックからのルートを教えてもらった。それは数年前の地図帳で、使用するのに何の支障もないのに、彼は説明が終わると僕らにくれた。
4日目の朝は、夜明け前から眼が覚めた。早く上陸して、走りたい。薄明かりの先に、リューベックらしい港が見える。徐行しているから間違いないだろう。両側はすぐに陸地が迫り、細長い入り江の奥にあるようだった。ベタ凪の中を、トランスフィンランディア号は静かに進んでいく。なぜか「地獄の黙示録」の冒頭のシーンを思い出した。
(続く)
金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身のホームページに採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。