ロシアのサンクトペテルブルクからドイツのリューベックまで、バルト海を渡る国際フェリーを利用することにした金子氏と田丸氏。 2人とカルディナを乗せたトランスフィンランディア号は、 その舳先をドイツヘと向けてゆっくりと出航した。1ヵ月を過ごしたロシアを離れ、次なるヨーロッパの陸地に上がるまで約60時間。それは暇との戦いでもあった。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

持て余す退屈な時間。陸上とは対照的な数日

翌朝、午前6時前に目を覚まし、窓から外を眺めると、抜けるような青空の下にこれまた紺碧のバルト海が広がっている。ただし、波頭が白く崩れるところを見ると、風が強そうだ。顔を洗ってデッキに出てみると、案の定、強くて冷たい風が吹きまくっている。Tシャツの上にウインドブレーカーを羽織ってきたのに、寒くて立っていられない。

ロシアとドイツを結ぶ航路を所有しているのは、フィンランドのフィンラインズ(Finnlines)社。船籍を示す3国の旗。

細長い入り江をゆっくりと奥へ進んでいく。もう間もなく、北ドイツのリューベック港に到着する。なんだか映画の1シーンのような風景だった。

午前7時すぎにブロンソンから部屋に電話が掛かってくる。朝食の呼び出しだ。

食堂に行くと、すでに4人のトラックドライバーたちは食べ始めている。ヨーロッパのホテルと同じようなビュッフェ形式で、並んでいるのは数種類のパン、ヨーグルト、果物、数種類のハムとチーズ、ゆで卵、スライスされたトマト、ジュース類にコーヒーと紅茶。十分に満足できる内容だ。

ドイツのリューベック港に到着するのは、4日目の朝の予定だから、今から約48時間はこの船に乗っていなければならない。

画像: トランスフィンランディア号のサロンには、大勢の乗客にも対応できる立派なバーカウンターがあった。しかし、わずか数人しか乗っていない客のためには開けられないのか、シャッターは降ろされたまま。船内で購入できるアルコールはビールのみだった。

トランスフィンランディア号のサロンには、大勢の乗客にも対応できる立派なバーカウンターがあった。しかし、わずか数人しか乗っていない客のためには開けられないのか、シャッターは降ろされたまま。船内で購入できるアルコールはビールのみだった。

この48時間が退屈だった。デッキは風や雨で日向ぼっこもできないし、サロンのビデオはドイツ語かロシア語に吹き替えられているものばかりだ。本も、軽量化のために20世紀のロシア美術史に関する岩波新書を一冊しか持ってきていない。その一冊も、文章が生硬で読みにくくて、ページをめくる手が進まない。それでも、昼寝をし、サウナに入り、英語版のビデオ映画「ファスト・アンド・フューリアス2」を見付けて見たりして、なんとか暇を潰した。

僕らがうっかりしていたのは、サンクトペテルブルクを発つ前に、酒を仕入れてこなかったことだ。サロンには立派なバーカウンターが設えられているのだが、客が少ないからかシャッターが下ろされている。ブロンソンに訊ねても、積んである酒はビールしかないという。おまけに、ブロンソンは僕らが食べ始めるのを確認すると、スッと自室に消えてしまうのである。2日目の晩はそれに気付かなかったから、またベックスビールを注文しようとした時には、いなくなってしまっていた。

たっぷりと昼寝をしているので、ちっとも眠くない。飲む酒も、読む本も、見るビデオもない。でも、時間だけはたっぷりとある。これは、かなりツラいですよ。

新鮮に思えたヨーロッパ。4日目にドイツヘ上陸

画像: フェリーで運ばれているのは、ほとんどが荷物だけの大型トレーラーだ。運送会社の人件費を考えれば、それももっともなことである。

フェリーで運ばれているのは、ほとんどが荷物だけの大型トレーラーだ。運送会社の人件費を考えれば、それももっともなことである。

3日目の昼前に、旧東ドイツのサスニッツという小さな港に到着した。積み荷の出し入れはあったのかも知れないが、乗船しているメンバーは変わらない。

入り江状になった港をデッキから眺めると、街並みと建物がドイツ的に整理整頓された小ざっぱりとしたところにヨーロッパを強烈に感じる。クルマの新しさとキレいさも、ロシアにはなかった。たった1ヵ月間だったけど、ロシアの光景にこちらの目が慣れてしまったらしい。昔、初めてドイツを訪れた時と同じ、新鮮な感覚にとらわれた。

暇は3日目も変わらず、それでもドイツ人のトラックドライバーと親しくなり、少し話をした。彼が持っていたADACの地図帳を見せてもらいながら、リューベックからのルートを教えてもらった。それは数年前の地図帳で、使用するのに何の支障もないのに、彼は説明が終わると僕らにくれた。

4日目の朝は、夜明け前から眼が覚めた。早く上陸して、走りたい。薄明かりの先に、リューベックらしい港が見える。徐行しているから間違いないだろう。両側はすぐに陸地が迫り、細長い入り江の奥にあるようだった。ベタ凪の中を、トランスフィンランディア号は静かに進んでいく。なぜか「地獄の黙示録」の冒頭のシーンを思い出した。
(続く)

手にしているのは、船内でドイツ人ドライバーが譲ってくれたADAC(ドイツ自動車連盟)発行の地図。これからドイツを走る。

画像6: ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.18 〜ヨーロッパを目前にして優雅で退屈なクルージング〜

金子 浩久 | Hirohisa Kaneko

自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身のホームページに採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。

画像7: ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.18 〜ヨーロッパを目前にして優雅で退屈なクルージング〜

田丸 瑞穂|Mizuho Tamaru

フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。この実体験から生まれたアウトドアで役立つカメラ携帯グッズの製作販売も実施。ライターの金子氏とはTopGear誌(香港版、台湾版)の連載ページを担当撮影をし6シーズン目に入る。

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