年間100本以上の映画を鑑賞する筆者が独自視点で今からでも・今だからこそ観るべき または観なくてもいい?映画作品を紹介。
古くはゴールドラッシュ、今ではIT企業などの躍進によって発展が続くサンフランシスコ。その陰で時代に取り残されていく貧しい黒人たちの切ない生き様を描くヒューマンドラマ、『ラストブラックマン•イン•サンフランシスコ』。

変わりゆくサンフランシスコへの郷愁を捨てられないことの悲哀

主人公のジミーは、富裕な白人たちが住む高級住宅地にある、一軒の豪邸に執着する。それは昔家族と共に住んでいた家だったからだ。
そして、その家を設計し、独力で建てたのが自分の祖父であるということを誇りに思って生きてきた。

しかし、ジミーの父親をはじめほかの家族たちは、この家に強い執着を持っている様子はなく(大人だから単に諦めがいいのか?)、逆になぜジミー1人がそこまでこの家にこだわるのか?という疑問が解消されることもない。

凄まじい速度で変貌していくサンフランシスコの生活様式の波に抗しきれず、家を追い出されたジミーの家族たちは、やがて離散してしまうことになるのだが、かつての持ち家にこだわることで強く生きようとするジミーの姿は、時代の流れに乗って、古くからの住民たちを振り落としながらも まるで駿馬のように疾走を続けるサンフランシスコという都市に対して、強い愛着を持ちしがみつき続ける、昔ながらの住人たちの切ない想いを代弁するものなのかもしれない。

作中では、この家に住んでいた白人たちが急に退去し、売り家になることで(高騰したがゆえに、買い手はなかなかすぐに現れないので)、当分空き家になり、ジミーは昔使っていた家具を持ち込んでこの家に入り込み、居座りを始める。いつまでいられるかはわからないが、この家は自分の全てだという想いがジミーを意固地にさせるのである。

サンフランシスコはとても坂の多い街であると同時に、作中 ジミーがスケートボードを愛用することがフィーチャーされているのだが、当たり前ながら動力のないスケートボードは下りは速力を得られるものの上りには全くの無力だ。降るのは簡単だが登るのは労力がいるスケートボードに依存して生きるジミーの様子は、サンフランシスコという街の特性と相まって、とても象徴的に思えたのだが、それは製作側の意図と合っているだろうか。