クリント・イーストウッド監督作品としては、あまり話題にならずに終わった“悲劇”の作品。アトランタ五輪で実際に起きた爆弾騒ぎの第一発見者が、実は真犯人なのではないか?との疑いを掛けられるが・・。

実話に基づくストーリー

本作の主人公リチャード・ジュエル(演じるのはポール・ウォルター・ハウザー)はアトランタ五輪(1996年)のオープニングコンサート会場の警備員。会場に仕掛けられた爆弾を発見し、大きな被害が出ることを防ぐが、彼が英雄扱いされたのはほんの数日で、その後は彼自身が爆弾を仕掛けた犯人なのではないか?という容疑をかけられてしまう。

FBIには監視され、全米中のメディアや野次馬にプライバシーを侵されてしまうリチャードは、かつて自分と親しくしてくれていた弁護士ワトソン(サム・ロックウェル)に弁護を依頼し、自身にかけられた恐るべき容疑を晴らそうとするが・・。

差別的決めつけはしてはならないし、されてはならない

本作の主人公であり、爆弾テロの犯人であるという疑惑を受けることになるリチャード・ジュエルは、実在の人物である。彼は作中でも描かれているように、非常に太っていた。

ジュエルは、その不健康なまでの肥満体と、ややオタクじみた振舞い(銃器をやたら保持していたり、警官に対する過剰な憧れを抱くところなど)が、“英雄願望がある、孤独で偏屈な貧乏白人の自作自演”なのではないか?という疑惑を生むわけだか、周囲の人々も その疑惑を簡単に信じてしまうのは、やはりジュエルの見た目とエキセントリックな“感じ”にある。

本作は、何気ない偏見が生む差別的決めつけの恐ろしさを描いているが、実のところ作品中には主に3つの“偏見”が登場する。
それは“肥満への嫌悪“、“女性への性差別”、“ゲイへの無理解”だ。

リチャード・ジュエルは見るからに太っており、自分の体もコントロールできない意志の弱さを感じさせる(実際、実在のジュエルは心筋梗塞で、2007年に亡くなっている)し、FBIがジュエルを真犯人としてマークしていることをすっぱ抜く新聞社の女記者が 色仕掛けでネタを掴もうとする様子が描かれている(実際、本作はこの“女は能力不足を枕営業で補おうとする”ように描いているとして、観覧をボイコットせよ、という運動を招いたらしい)。

また、ジュエルが共犯者と目される男性と性的な関係にあると疑われたことで、自分がゲイであるという決めつけが行われているらしきことに憤慨して、自分はゲイではないと繰り返す。テロリストであると謗られるよりもはるかに不名誉であると感じているらしいのだ。(舞台は1996年。20年以上前の時代の感覚だから、気持ちはもちろんわかる)

思うに、性差別=LGBTQ問題、もしくは男女差による差別 と、人種差別については、自助努力ではどうにもならないが(例 黒人に生まれてしまったら、白人になれはしない)、肥満についてはジャンクフードを食べないとか、カロリーを抑えるとか、ある程度はその人の自覚次第だから、差別される側の人にも(偏見を受けることがわかっていてそれを放置しているという) 問題がないわけではない、と思わざるを得ない。もちろん程度問題だが、僕もだらしなく太った人を見ると、常識や倫理観、もしくは美学に欠ける人物なのではないかと感じてしまう。

さまざまなところで同じ主張を繰り返しているのだが、偏見というか差別的なものの見方や感じ方は、育ち方もしくは受けてきた教育に影響されており、なかなか完全に矯正することは難しいと僕は思う。

例えば、武士道精神を語るに、恥を雪ぐために切腹をすることを潔いとしたとして、カトリック教徒からしたら自殺は大罪だから絶対に相容れないだろう。女性はかよわいから守らなければと思う気分は男らしさにつながると思うが、同時に女は弱い、という決めつけは差別であろうと思う。つまり、何が差別で何が偏見なのかは、時代や文化によって変化するものなのだ。

つまり、差別的意識や偏見は誰にでもあるし、それ自体は必ずしも悪いとばかりは言えないこともある。ただ、時代や環境によって、振る舞いを合わせていかねばならないと理解する感受性や スマートさは身につけている必要があると考えている。

その意味で、差別的決めつけはしてはならないが(少なくとも、自分の言動が差別的であると受け止められた場合は、即座に撤回し、謝罪し、2度と同じ行為をしないように厳重に反省するべきだ)、同じように差別的決めつけをされないように気をつけなければならない。

本作においては、容疑を受けようが容疑が晴れようが、リチャード・ジュエルは太ったままだ。僕にはそれが1番の問題点であると感じられる。
また、サム・ロックウェル演じる弁護士に、エキセントリックな彼の振る舞いが世間からのバッシングを生んでいることを指摘されて「昔はありのままの自分を評価してくれたのに!」と憤慨するシーンがあるが、これも僕には腹立たしい。ありのままの姿を受け入れてもらえるのは(若くそして美しい)雪の女王くらいのものだ、太って金が無い 変な中年男は少しでも愛されキャラになろうとするべきだ、冤罪を受けて死刑を求刑されたくなければ。

本作は、誰でも突然思ってもみなかった冤罪で、日常を破壊される可能性がある恐ろしさを描いているが、同時にその恐怖を少しでも回避しようと努力しなければならないことを学習する良いチャンスとなると思う。

画像: 『リチャード・ジュエル』人間見た目が9割?五輪会場の爆弾事件の犯人扱いされた男の悲喜劇

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。

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