ウラジオストクから上陸して、ロシア大陸を西へと進むカルディナ号。しかしその道は、予想をはるかに上回る悪コンディションの連続であった。
激しい振動によって発生した不具合は、先を考えれば速やかな修理が必要だ。イルクーツクとクラスノヤルスクで入庫したトヨタ・ディーラーは、ともに迅速な対応でキビキビとした修理を行ってくれた。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

ロシアのディーラーで知ったトヨタ販売体制の底力

ハバロフスクから始まった極悪路は、さまざまなかたちでカルディナにダメージを与えていった。

まず、スコボロディノでカルディナをシベリア鉄道に載せる頃から、ボンネットの中でベルト鳴きがひどくなっていた。

キュルキュルキュルキュルキュル。

エンジンを始動した途端に、不快な高音が響き渡る。周囲の人が振り返るほど、音量も大きい。ステアリングを回すのが渋くなってきたので、おそらくパワーステアリングのポンプがズリ落ちて、ベルトが緩んでいるのだろう。

同じ列車に乗り合わせた、ジャイアンツの高橋由伸選手に似た若者もビックリして、ボンネットを開けてみろと言う。水溜まりだらけの未舗装路を1000キロ以上も走り続けてきたから、ボンネット内は跳ねた泥だらけだ。エンジンのヘッドカバーやエキゾーストマニホールドなんて、チョコレートケーキみたいだ。

走り始めて、エンジンの回転数が上がれば、キュルキュル音は消えるから、このまま行くしかない。

練馬ナンバーのトヨタカルディナ。大きめのディーラーステッカーにあるキリル文字は「砦」とか「城」を意味する単語。守ってくれる場所、ということか。

チタを過ぎて、すべてが一変した。道路は、ほとんどが舗装路になり、車幅も広がった。それまでは、鬱蒼とした森林の中を走っていた区間が長かったのに較べて、視界も開けてきた。森林は開墾されているところが増え、牧草地も目立って来た。チタ以東の極東ロシアの自然には人間の手がほとんど入っていなかったのに対し、チタを過ぎてからは、大自然には違いないのだけれど、明らかに人間の手が入ってきている。

気のせいか、森の木々の緑も明るくなったようで、眺めていて清々しい。地平線まで草原や耕作地などが広がっているので、走りやすく、疲れも少ない。

盛大なベルト鳴きに加えて燃料計の不調も発生

そんなところを快調に走り続け、チタから350キロ進んだ辺りでトラブルが起こった。ガソリン残量計の針がまだ5分の3の位置を示しているのに、その下にあるカラの警告ランプがボワッと一度だけ点灯したのだ。

このランプは、針がカラを示す”E“の位置に下がってから点灯するはずだ。それなのに、なぜおかしな位置で点灯したのか。ランプか、メーターのどちらかが作動不良でも起こしているのではないか。

もしかしたら、ガソリンタンクに穴が空いたり、亀裂でも入って漏れていることはないだろうか。たった350キロしか走っていなくても、漏れていたらタンクがカラになっても不思議はない。

そんな推察を運転しながら田丸さんと交わしつつ、次のガソリンスタンドで給油量をチェックしてみることにした。45プラスアルファ・リットル入った。昨日までの燃費と変わりはない。これで、漏れていないことはハッキリした。ランプかメーターのどちらかがおかしいことは確かなので、どちらも無視し、500キロ毎に給油することにした。

この日の目的地は、ブリヤート自治共和国の首都、ウラン・ウデ。同行のロシア人留学生で、僕らの通訳イーゴリ・チルコフさんの実家がこの郊外にあり、今日の晩ご飯をご両親と叔父さんと一緒に食べることにした。

イーゴリさん本人やご両親、叔父さんたちは、いわゆる白人系の顔付きをしているが、この街に住むブリヤート人は僕ら日本人にソックリだ。同じモンゴロイド系だからだ。

街を行くクルマが変わってきたことでも、自分たちがずいぶんと西に来たことを実感した。日本車の数が眼に見えて減り、オペルやアウディ、ボルボなどの中古車が増えてきた。中古車だけでなく、きれいなX5やモンデオ、パサートなども確認した。極東地方ではあまり見ることのなかったモスクビッチやボルガなどのロシア車も、増えてきている。

ウラン・ウデからイルクーツクまでは、バイカル湖の南端をなぞるようにして450キロ余りで着く。イルクーツクはシベリア最大の都市というだけあって、大学や巨大スタジアム、大規模ホテル、デパートなどが揃っている。

さっそく、町外れの「イルクーツク・トヨタ・センター」を訪ねる。工場は優に20台は入れる大きさで、フロントも清潔だ。

町外れにあるイルクーツク・トヨタ・センターにて