ヨーロッパ大陸とイギリスを隔てる海峡、そこには複数の名がある。フランス側では「ラマンシュ(La Manche)海峡」と呼ばれ、これがイギリス側では「イギリス海峡(English Channel)」となる。だが日本では「ドーバー海峡」の名が一般的だ。その海峡を潜るユーロトンネルを専用列車で抜けて、カルディナはロンドンに着いた。
写真と文:金子浩久
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

スムーズに進む手続き その当たり前さを祝う

係官に促されて先へ進んだ先に、ユーロトンネルを走る列車「ル・シャトル号」が発着するプラットフォームが見える。

ロシアのスコボロディノの乗り込み場所とは大違いで、クルマを積んで走ることを前提に作られているから、広く清潔なプラットフォームから段差なく列車に乗り込める。おまけに、職員の会釈まで付いている。

列車の最後尾車両の側面が大きく開き、斜めに乗り込む。車両間の扉はすべて開け放たれていて、僕の前を行くルノー・エスパースに付いて、どんどん前へ詰めていく。空いていて、10数車両進んで停まった。

車内は明るく、左右のドアを同時に開けられるほど幅も十分ある。エアコンさえ十分に効いていて快適だ。ほどなくして、発車。

エスパースにはスーツ姿の男性が4人乗っており、乗り慣れているようで、車両内を行ったり来たり。隣の車両に行けないこともないが、行ったところで何もない。車両間の扉は大きなガラス窓になっているから、向こうがよく見える。トイレが2、3両にひとつあるだけ。乗車する前から分かれていた“1等車”には2階のラウンジ部分らしきものがあるが、そこまで偵察に行くことはできなかった。

列車内には万が一の事態に備えた脱出方法、トンネル構造などが示されていた。乗車が完了すれば、畳まれていた連結部の仕切板がセットされて、1両ごとの区画となる。

すぐにトンネルに入り、乗車時間はきっかり40分間。ドーバーの隣のフォークストンという街の駅に着く。とはいっても、駅の外の様子が見えるわけでなく、列車から降りるとコンクリートウォールに囲まれた広い通路を進み、自動的に高速道路のM20に入る。ここから北西に進めば、ロンドンだ。

フランスの右側通行から、イギリスの左側通行に変わるわけだが、列車から降りたクルマは他に選択の余地もなくM20のロンドン方面行きの車線に導入されるので、混乱するようなことは何もない。

ペリフェリックからA16に入るところでは予想と異なっていたが、パリ郊外でA16に乗ってからは、ユーロトンネル「ル・シャトル号」搭乗手続き→出国→入国→搭乗→A20という流れは見事なまでにスムーズだった。またしても、これぞ文明!

40分の乗車で、列車はイギリスのフォークストンにあるターミナル駅に到着。係員の笑顔に送られて自走で路上に出る。右側通行から左側通行へ変わるが皆、慣れている様子だった。

M20を1時間少し走って、M25を北上する。M25はロンドンの外側を大きく周回しており、反時計廻りに進む。M25は帰宅ラッシュが始まっており、滞り気味だ。これからロンドン北西部に住む友人F氏を訪ね、明日以降、帰国準備作業を行う。長かった旅も、これでようやく終わりを迎えようとしている。

ドイツのリューベックに上陸して以来、パリのペリフェリックと二、三の工事箇所以外では遭遇しなかった渋滞だ。ロシアなど、モスクワの環状自動車専用道路への合流でしか体験することはなかった。ダラダラと流れはするのだが、少し進んではまた止まる。

ま、ヨーロッパでも最近は各々の大都市では慢性的な渋滞が発生しているのだろうが、ここでは東京の絶望的な渋滞を思い出した。飼い殺しにされているような進み方は、東京のそれとよく似ている。

M25号線を北上すると、テームズ川を越える「ダートフォードクロッシング」がある。北行きのクルマはトンネルを潜り、南行きは(遠くに見える)橋を渡ってくる。通行料は基本的に1ポンド。