ヨーロッパ大陸とイギリスを隔てる海峡、そこには複数の名がある。フランス側では「ラマンシュ(La Manche)海峡」と呼ばれ、これがイギリス側では「イギリス海峡(English Channel)」となる。だが日本では「ドーバー海峡」の名が一般的だ。その海峡を潜るユーロトンネルを専用列車で抜けて、カルディナはロンドンに着いた。
写真と文:金子浩久
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

エキゾチックさはなく 自然な形で英国を感じる

渋滞中のM25をズルズルと進みながら、大きな感慨のようなものでも込み上げてきて良さそうなものだが、不思議と清々している。

いつものように東京からロンドンまで飛行機で来てしまえば、ジェット機での瞬間的移動による距離感の大きさや、異国に滞在している気分が際立つのだろう。それは、日本とはあらゆるものが異なっているところに来ているというエキゾチック感である。

だが、50日掛けて陸と海伝いに来たものだから、そういった気持ちにはならない。今こうやってM25を問題なく走っている事実だけがすべてだという気持ちで満足している。

以前に、ロシアの街を走るクルマの中に日本車が占める割合は西に進むにつれて、グラデーション状に少なくなっていく、と書いた。

ロンドンに着いて思うのは、それと似たようなことだ。日本車の占有率と同じような感じで、土地の様子や人々の暮らしぶり、自然の景観、街や建物等々、つまり自分たちとカルディナ以外のすべてのものがゆっくりとシームレスに移り変わっていく中を、僕らは旅を続けてきたという実感が強い。だから、いつもならエキゾチックに感じるロンドンの空気が、当たり前の自然なものとして感じられるのだ。

あるいは、自分がロンドンにいる必然性を、以前ならば心底からは肯定できなかった。黒い髪と目をした日本人の自分がヨーロッパにいることの居心地の悪さといったらいいのだろうか。

もちろん、ほとんどは仕事の必要があって来ていたわけで、そこに疑問を差し挟む余地はない。逆に言えば、仕事の必要がなかったら来ることはなかった。ならば、遊びに来たとしたら、居心地は良いのか。そんなこともないだろう。別にヨーロッパでなくとも、遊びに行って面白いところは国内外にたくさんある。

今回の旅の動機は、“来たいから、来た”というだけだ。距離と期間の長さや、準備と手続きの煩雑さは関係ない。

「いつもは飛行機でひとっ飛びして行くヨーロッパに、今度はクルマで行ってみたい」

ただそれだけの単純な動機から、すべてが始まった。旅立つ動機は、単純な方がいい。自分なりに、そこに強い必然性を持ち続けたから、いまこうして練馬ナンバーのカルディナでロンドンのM25を走っていることが自然に感じられるのだろう。

自分にとって旅というのは非日常のものだったはずだが、今回は移動し続けているうちに日常と化してしまったのかもしれない。F氏の家は、もうすぐだ。
(続く)

画像: ロンドンに到着したカルディナ。駐車場の端に見えるゴミ箱の存在や、建物の窓そのものの形状や取っ手の色などに「イギリス」を感じる。

ロンドンに到着したカルディナ。駐車場の端に見えるゴミ箱の存在や、建物の窓そのものの形状や取っ手の色などに「イギリス」を感じる。

画像: ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.22 〜ユーロトンネルを抜けた先〜

金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身のホームページに採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。

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